古典とAVとYouTube


落語や能やクラシックなど同じ作品を演者を変えて発表するのが古典的な芸能だと思っています。ベートーベンの作品を指揮者が変わることで、また演奏する方たちが変わるだけで、まったく違う表現に感じてくる。〇〇が演じた作品、〇〇が演ずる落語、など文化や伝統を受け継ぐだけではなく、その才能ある演者の感性を生かした世界観で発表していく。そこからオリジナルが生まれてきて自分の作品として世に出していく。古典芸能は技術の到達点を客観的にとらえることができることや、技術を身に着ける、その表現をどのような技法を用いることで実現することができるのか?など成長していく過程で、この模倣はとても大切なプロセスと言えます。スポーツでも、マイケルジョーダンの伝説的なプレーを真似してフェイントの技術を身に着ける、などスーパープレイを自分のものにしていくのは重要な練習方法です。模倣からオリジナリティを生んでいく、プロセスの初期段階では、誰もが同じこととしている時間があるという見方ができると思います。

話は大きく翻って、AV(アダルトビデオ)は、結局していることは全て同じと言えるのではないでしょうか?ベートーベンの楽譜は誰もが同じ=AVで行っている行為は誰もが同じ。だだし、そこに演者が変わるだけで、全く違う世界観で作品を楽しむことができる。AVはまさにその典型で、シリーズ化されている人気企画であっても、出てくる女優さんが変わることで、全く違う世界観、違う作品に見えてきます。やることも結局同じなんですが・・・。同じものを飽きずに見ることができる、私は古典芸能とAVの共通点に見えていました。

YouTubeも同じ企画を別の演者がやることで、また視聴者を獲得することができる代表的なものだと思います。人気企画=古典として残る作品を、別の人がやってもある程度の支持を得ることができる、全く世に知られていない人が、有名が作品に取り組み発表することで、演者よりも作品の知名度で人を呼び、支持を得て、演者としての自立につながっていく。そんな成功ストーリーが顕著に出ているのがYouTubeの世界であり、同じ企画が堂々とアップロードされています。全く同じ演出、同じ内容を模倣するのはルール違反であり、ここにも著作権という考え方が入ってくるのかもしれませんが、ある程度の数を稼いでいる番組を模倣することで、自分もある程度は注目してもらえる可能性もあります。そこから自分のキャラクターやオリジナリティを出していく。古典芸能とAVと全く同じ構図が見えてきます。

でも、それだけトップアスリートや芸能を積んできた方の努力と時間は圧倒的だということも、にわかに真似をしたところで同じ結果を得ることはできないことも同時に学ぶのではないでしょうか?ここで諦める人と、続ける人の違い。芸能もAVもYouTubeも習慣化する力とも言える継続する力、積上ていく力を実感させてくれるという共通点を感じます。

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