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憲法に右も左もないという雑談

こんにちは。
みやたです。

今日は憲法に右も左もないという話をしてみる。

これは常日頃から自分が疑問に思っていること。

なんか憲法というものが世間で語られる時って、
「憲法9条が!!」
「岸田政権が!!」(今は石破さん)
「人権が!!」
みたいに、すごい左っぽい印象が付き纏ってるように思う。

自分はこの現状がすごい苦手。

いまの憲法が1番大切にしてる価値観って、「個人の尊厳」というもので、そこには右も左も関係ない。(ちなみにドイツではナチスに対する反省から「人間の尊厳」というものが最も大切なことらしい。各国の歴史によって少し言葉が違ってくるのも面白い。けども、そのどちらをとっても、お互いの意味を含んでいるらしい。ここら辺はもっと勉強したい。)

単に、集団主義的で1人1人をないがしろにする発想はやめて、個人を尊重していきましょうというだけの話。

ドイツに場合だと、人間に対して残虐なことをしてきた発想は改めて、人間1人1人のかけがえのなさを大切にしようよ。という感じか。

最近の世の中では「好きを仕事に」「自分らしく生きていく」みたいなことがブームやと思うけど、自分にとっての憲法はそれと何ら変わりのないもの。

そのための大きな後ろ盾を用意してくれているもので、それを語ると左翼・赤みたいに決めつけられてしまうのは非常に残念。

(別に左翼活動家が嫌いなわけでないのでそこは注意。)

自分の人生の選択とか自由を守ってくれる綺麗な聖域みたいなもの。

それが憲法であって、変な色をつけないでほしいなと常に思う。

あえて言うと水色。

結婚ということを考えても、憲法は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」すると定めてる。

これは、昔の結婚制度が親とか戸主という人の同意が必要だったから、そんな「家」ばっかり重視したことはやめようぜ、1人1人の好きなように生きようぜヤッホーって感じで意識的に定められたもの。

ここに政治的な色なんてないと思う。

それでいうと、憲法という言葉自体がもうヒタヒタに政治色に染まってしまっている感じすらする。

もうここらあたりで憲法という名前は捨てて、

Freedom Lawとかなんかキャッチーでちょっとだけキラッとしてるけど無色透明みたいなネーミングにしたらどうか。

たくさんの自由が書いてあるのだから。

言葉の力はすごい。

規則作りなんて書いたら誰も興味持たないけど、「ルールメイキング」なんていうおしゃれな名前をつけて、1つのホットトピックを作ってる領域もあるくらい。

なんかそう聞くとすごいかっこいい。

話は逸れてしまったけど

そのFreedom Lawとやらが右とか左とかの対立に巻き込まれて、その聖域を汚されないようには見て行きたい。

ああだこうだ面倒な指図を受ける世の中になるのは本当に勘弁してほしい。

そんなことを中学生たちと憲法の話をして思った1日でした。

少し長いですけど憲法について知っておきたい方はこちらの記事もおすすめです。


ではまた次回。




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