ウロボロスの坂本裕二/新海誠──『最高の離婚』11話を見て
『最高の離婚』を見終わった。
放送当時に父の背中越しに見ていて、「なかなか面白いな」と思いつつも、ドラマに対して興味を抱いていなかったのでスルーして現在に至る。
最近、立て続けに『カルテット』『大豆田とわ子と三人の元夫』を見て、吉次はこれだ、とFODオンデマンドに加入し、広告費大幅減損のフジテレビに対し塩一粒を結果として送ったのであった。
※こっから『最高の離婚』の大ネタバレです。
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ざっくりと感想を述べれば、7話くらいまで相当面白かったが、大体話が終わってから(光生に結夏が手紙を残して家を出てから)、
すでに終わった話を11話までだらだらと引き伸ばしている感は否めなかった。
あそこまで行って灯里が諒を許さず(諒の浮気性と婚姻届けを出さないという裏切りに、クズの父を持つ灯里はほとほと愛想が尽きたのだ)、しかし許す(10話で灯里の妊娠が発覚し、諒と再び(今回は)婚姻関係を結ぶことにする)のは、もう終わったパーティを無理やり盛り上げているといっても過言ではないと思う。
最終的に光生と結夏が元サヤに戻る(婚姻届けは出さない)というのも、2013年の作品である以上しょうがないとはいえ、「人は変わらない」ってお互い散々けんかして納得したんじゃないのかよ!と憤慨しちゃう。
まあ、変わらないからこそ、また付き合っちゃうというのも人間の真理(心理)なんだろうけど、、。
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坂本裕二は2025年1月末現在、2本の劇場用長編映画の公開を控えている。
『ファーストキス』と『片想い世界』
だ。
その筋の情報によるとどうも両方とも相当「新海誠っぽい」ようで、要するにエモーショナル多め、セカイ系と対幻想をあきらめない、JPOP的なガラパゴス性を恥じずに(心の)パンツは脱がないまでも、ズボンは脱ぐ、ような作品なんではないかなと想像している
ほーん、そうか。
と思って見た(『最高の離婚』の)11話。
音楽こそ流れなかったが上記の思い出と現在の仲睦まじい様子がサンドイッチされて、対幻想の情報量により感情のエモ回路を無理やりこじ開けようとするその手法を見て、俺は思った。
──新海誠みたいだなあ。
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『秒速5センチメートル』は2007年の作品。
とはいえ、坂本裕二には1990年代の蓄積があるし(『東京ラブストーリー』俺は未見)、同じようなつるべ打ちのエモ演出は『(500)日のサマー』(2009年)とか海外の実写作品でもやっている。
とはいえきっと、坂本裕二、『秒速』も観ていたろう(その証拠を探すためにインタビューなどをあさる気にはならない)。
『最高の離婚』の時点で、坂本裕二はすでに新海誠のしっぽを食っていた(かもしれない)、という話。
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ここからはそこから展開して考えることなのだが、
坂本裕二に合って新海誠にないのは「ユーモアのセンス」
だと思う。
それはアニメーションという形式がもたらすコント的な会話劇の困難さ(『ポプテピピック』とか『ボーボボ』とか、アニメでは形式や世界観自体がぼけるほかない?『THE 3名様』『スナックバス絵』など会話劇主体の逆漫画/アニメはどうなる?)からくるものなのか?
あるいは個々人の特性ゆえのものなのか。
そういえば10話から登場した光生がでんぱ組.incにどっぷりハマるというギミック、特に何の意味もなかったな。
なんだったんだ、ありゃ?