論より証拠より、結局感情論だった。

「高校のとき数学のテスト6点だったことがある」

これはいかに数字が苦手とアピールする際の母の常套句。母から生まれて40年、数百回とこれを聞いてきたが未だに色褪せない好きなセリフであり、なぜならそれを言うタイミングが素晴らしいのとその具体例(数学のテストが6点)が実話であることを親戚談から徐々に立証されることで反復の笑いが生まれ、都度笑ってしまう。

かたや、母は国語が得意で「テストを解くにはまずその問いを理解しなければならず、つまり国語はすべての教科において必修」と教えてくれた。僕が数学で一番好きだったのが『証明』だったのも、その教育のおかげかもしれない。

そんな文系の母と理系銀行マンの父からの教育のおかげで、僕は文理ハイブリットに学びを得ることができ、どちらも秀でてはないが苦手意識なくこなす人間になれた。両親には感謝しかない。



「人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違えます」とはテレフォン人生相談でおなじみの加藤諦三先生の言葉で、僕はこの言葉で幾度となく救われた。地獄のスタンプラリーだった30代の経験が今財産になっているのは、本当にこの言葉のおかげすぎです。



税理士法人に転職して日々理論を学んでいるのでなんとなく僕は理論的になってきたと思ってたけど、全然違った。まだまだ感情論者だった。

「実店舗が閉店?てことは所得低下で娘の生活水準も下がるってこと?嫌だな・・・」

と思ったのは一瞬。ほんと一瞬。そのあとすぐに「ざまあみろ」て思った。娘の生活水準の理論を光速で感情論が抜き去ったことに人生ムズって正直思ったけど、もし生活水準の難があればそれは僕のお金で解決できるし、じゃあ今はその感情に正直でもいいかなって思った。

自分、今も文理ハイブリットに生きてるわ。

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