午前中で終わる学校20
~型破りを型破る~
世界中の皆さんへ
僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。
0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑲~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~
【定点にいる仕事】
若いころから、クラス会に出ると、次の日に落ち込むことがあって・・二日酔いのせい?
卒業した子どもたちと出会って、嬉しいし、楽しいし、彼らの変化成長を目の当たりにする至福の時間なのに。
たぶん、その彼らの変化成長がまぶしすぎて(もちろん悩んでもがいている姿も含めて)、焦りを感じてしまっていたのです。自分は、あの頃とたいして変わっていない、なんとなく日々に流されている、こんなんでいいのか・・
ある時、伊豆のホテルに親族で宿泊に行ったことがあって、そこの女将さんの所作に心を動かされたことがありました。それは女将さんがお客さんたち一人ひとりに「お帰りなさい」と声をかけて「お元気でしたか」と問いかけていた場面。リピーターのお客さんたちは「転勤になっちゃって・・」「仕事、順調なんですよ」「子どもが生まれたんです」「入院したんです」など、女将さんに人生の振り返り語り。
受け止めてくれる人の存在。
いつも、そこにいてくれることの安心。
そして、滞在が終わり帰るときには、
「またのお越しをお待ちしております。」
「また来ますね。女将さんもお元気で。」というやりとり。
定点にいることの価値もあるんだな、と思いました。
そう言えば、教え子たちとやりとりをするときに「みやしー、今、何年生の担任なの?」と
聞かれることはほとんどありません。彼らにとっては、僕はいつまでも「あのとき」の担任なのであって、僕の「今」にはそれほど興味関心がない(-_-;)ってことですよね。
それからは、僕も元担任として「定点」にいてみようと割り切ることができるように、ちょっとだけ(笑)なりました。
それでも、アップデートしなきゃいけないし、アップデートはおもしろい。
フェイスブックの投稿を見て「いつまでもチャレンジしている先生の姿勢に元気をもらいます。」というレスポンスが多々あるのも事実です。年齢関係なく挑む姿を見せて、彼らの「道しるべ」のひとつになれれば、とも思うのです。だから発信し続けます。
6の章(あきら) 廃止削減②~学校メタボ症候群~
「午前中で終わる学校」にしたいので、給食廃止、もしくは昼食は弁当を提案したい。子どもたちの昼食を家庭に頼らずに確保してあげたいのなら、カフェテリア(食堂)を設置してほしい。
【給食廃止の理由】
①衛生面で厳しい取り決めが多くあることでのリスクと煩雑さで担任の負荷が大きい。その割には、トイレに行く時にも履いている上履きを教室でも履いている。その教室は黒板があるなど作業の場でもある。作業場と食事の場所の区分けは刑務所でもある。休み時間に校庭で私服で遊び回っているのに、汗だく、泥汚れありの私服の上に白衣を着て当番をしたり、私服で食べたりするのは可で、それよりは運動量の少ない(笑)体育で着た体育着の上に白衣を着て当番をしたり、体育着で食べたりするのは不可なのは、ナンセンスである。着替えさせるのにひと手間かかる。
②異物混入のリスクがある。故意でも過失でも。生産プロセス、調理プロセス、運搬中、配食中、食事中等、機会が多すぎる。特に、運搬や配食を児童生徒がしている場合は当然リスクが増す。
③アレルギー対応のミスのリスク。調理場でも教室でも、命に直接関わるので気の使い方も労力も多大である。自宅からの弁当持ち込みならそのリスクはほぼゼロ。民間はアレルギー対応のノウハウがある。担任はアレルギー対応の専門家ではない。
④感染症対策を教室ですることには、キャパ的にも技術的にも無理がある。配食を子どもたちがすること、人が口をつけたものを片付けること等、どの感染症に対してもリスクがある。
⑤教員の授業以外での仕事が増大する。そもそも専門ではないはず。教員養成課程で「給食指導」がまともに学びの対象になっていない。
・当番システム作成 ・白衣の準備、洗濯の案内
・運搬中、担任が教室不在になる際の教室待機における指導とトラブル対応
・配食や食事、片付けにおける指導とトラブル対応
⑥時間配分の困難さと人権的問題がある。
・食事時間が10~15分しかない。
・準備も片付けも教室に任されていて、午前中の最終授業が時間通りに終わらない(他の教員の担当の場合は特に)時でも、遅れの戻しは担任がしなければならず、児童生徒にとって無理やりな指導になる可能性がある。
・食べる物も、食べる量も半強制的であり、食べ切ることが正しいという指導はまだ現場にある。残菜の量でクラスを競わせることがプレッシャーになる児童生徒もいる。「食」という生理現象を一律にすることはナンセンスであり、ここで食品ロスについて考えさせるのは捉え違いである。むしろ、一人ひとりに適応していない給食のシステムこそが食品ロスの原因であり、大量の残菜を子どもたちに見せることで「もったいないね。でも仕方がない・・」という言葉を生み出すことになっている。
・担任は、児童生徒の様子を見守りながらの昼食になるので、食事を味わうことができない。担任もゆったりと食事を取り、人間らしく生活する権利がある。
⑨一般の食文化との食い違いがある。「食育」というカテゴリーや部署ができて授業で取り上げる傾向にあるが、その割に食べ合わせやメニューに謎が多い。
例えば
・「うどん」と「パン」
・「焼きそば」と「パン」➡僕はすきだけど。「焼きそばパン」いいね。
・「ごはん」と「牛乳」
・残食が必ず多くなるのに「ぶどうパン」と「煮豆」はメニューから絶対外れない。
【A.給食を廃止すると、どんな問題点があるのでしょうか。】
①貧困家庭の児童生徒の生育に影響が出る。
②給食調理員が職を失う。
【Aに対して】
★①少なからず影響がある児童生徒がいることは無視できないが、日々の「食べる」行為そのものを学校教育の枠組の中で、多大なリスクと負荷を背負いながら実施することに無理がある。給食業務に費やす時間と労力を「授業の評価や準備」に回す。
https://www.snfoods.co.jp/knowledge/column/detail/13157
★②下記に示すカフェテリア(食堂)のスタッフとして勤務すればよい。
【B.カフェテリア(食堂式)にした場合の問題点はなんでしょうか。】
①予算確保
②スタッフの確保
③敷地確保
【Bに対して】
★①民間に委託、補助金を出して取り組んでもらう。ある程度恒常的かつ安定的に収入が見込めるところがうまみ。時間をずらして一般市民にも食事提供することで収益増か。
★②給食調理員がスタッフとして移行する。また、給食物資提供に関わる人々もそのまま民間業者と取引することからスタートする。
★③給食室の改装、校庭の一部利用、空き教室の利用等、地域に合わせた対応をとる。
【給食実施で教育的によいことももちろんある!それでも・・・】
①「給食ドラマ」~これらを取り上げて学びの材料にすることは相当数ありました。
・誰かが給食をこぼす、みんなで拭き取る。
・他の学年クラスが廊下にこぼしたものを、みんなで拭き取る。
・友だちの給食が足りない、自分の物を分け与える。
・おかわりのケンカ、そして譲り合い。
・役割分担を超えた給食当番サポート。
・給食台上の整頓や配食業務のボランティア的な動き。 などなど。
②「保護者負担軽減」
弁当作りはたいへんだという人もいるでしょう。
③「同じ釜の飯を食う効果」
この繋がりって意外と素敵かも。否定はできない。談笑、大爆笑の会食!
次回は「官製研修の廃止」など。
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