閑話休題⑩

Twitterで、あるツイートを見て、色々思うところがありました。それは、文章を投稿する事で起きる、トラブルに関する事です。

その、あるツイートには、こんな意味の事が書かれていました。それは「文章を発表すると、感想が書かれる。その感想に対し、どんなに嫌な事が書かれていたとしても、反論したり怒ったりするのは、大変リスクがある行為なのだ」「嫌な感想は、どんな小説にも書かれ得る」というような事です。

要は、酷い感想を書かれても反応しない方がいい、という事なのだろうと私はその文章を読んで理解したんですが、私は今までまったく逆の事をしていたので、しまったなあ、と思いました。というのは、酷い感想に反応しない方がいい理由を読んで、思い当たる事がありすぎたからでした。

それから、ネット小説投稿界隈にいる、私を激しく恨んでいる人の事を考えました。私が把握しているかぎり、そういった人は1人いるんですが、1人の人から激しく恨まれているという事は、その人から相談を受けるような関係の人からも良く思われていないだろうと考えると、知らない間に誰かから嫌われているというのは、あるだろうと思います。

色々考えるに、書いた文章の感想に酷い事を書いてくる人は、それ以前から書き手に対し、敵意を募らせている場合もあるのかもしれないと思いました。そしてその敵意というのは、表現活動をしていると避けられないものでもあるんだと思います。

私は自分で言うのも気が引けるのですが、癖が強い書き手だと自覚しています。ある読者からは、万人受けしない作風と言われた事があります。おそらく、どちらかというとマイノリティのような部類に属しているのでそうなるんだとは思いますが。たまに、表現活動などやめたほうがいいのではと思う事があります。

そんなわけでたまに、私のような趣味の書き手を励ますための文章を見る事があるのですが、おおむね人の善意を強調するような内容である事が多いのではないかという印象です。そういった明るい前向きな意見を持っていると書き手が表明する事の意味は、場の空気を軽くする効果があるとか、同じ世界観を共有したい人同士で安心し合いたいというのもあるのかもしれないと思ったり。なぜかその言葉を素直に受け止める事ができないでいます。

そんな中、冒頭に挙げたツイートを見て、かなり納得したのでした。
感想に酷い事を書いてくる人に対し、反応しない方がいい理由に関する内容を見て、話し合いができない関係性というのがあって、それはどうしようもないんだ、という事を改めて突きつけられたような気がしたのでした。

私を激しく恨んでいる人が、いつからそうなったかというのは、心当たりがあるかといえば、あるのです。それは、その人がどうしても許せない事があり、ある行動をしたのです。その行動に対し私は、キレたのです。

賢明な人であればおそらく、話を合わせるなどして、もしかしたら「どうしたの? 話聞くよ?」などのカウンセラーもどきのような対応をするのかもしれない。しかし私は、その人物の親では無いので、自分で考えろと思って、放っておいたのでした。

何でそういう冷たい対応をしたのかといえば、私の居場所に汚い言葉を書き込まれたために、侮辱されたという怒りがあったからなのですが、よくよく考えてみれば、うーん。嫌な事をされたらキレるのは当たり前だろうなとも思えてきます。もしかしたら、キレられると思っていなかったんだろうか。

その後の、私を激しく憎んでいる人との関係性ですが、良くなる事は無かったです。ある時その人が、まったく知り合いでは無い人物の人格や評判を貶めるような事を書いていたのを見て、あんたがそういう事を書くのはおかしいと、激しく罵倒してから、より憎まれるようになったと思います。たぶん、自負心や自尊感情などを深く傷つけたんだと思います。

こうして書き出してみると、ネット小説を投稿する場でよくもまあ馬鹿な事をしたもんだと我ながら思うのですが、なんだろなあ。
嫌な事をされたらキレる、というのは、実際やってみるとこんな感じなのです。

という事で、冒頭の問いに戻るのですが。
嫌な事をされたら、キレたいというのは分かります。よく分かるのですが、それをやってスッキリした後の方が、色々面倒なので、できれば相手にしない方がいいと思います。

だけどなあ。
一番いいのは、キレやすい人は表現活動なんかしない事だよな、と思ったりもします。
どうだろうか。怒りたい時に怒れないで、結果的に病んで、書けなくなるような人の方が多いんじゃないかなあ。

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