わたしにできること

物心ついたときからずっと、
私にできることは「言葉」しかなかった

幼稚園のとき、クレヨンで絵が上手に描けなかった
いつも髪の毛から描いてしまって、肌の色にそれがにじんでしまった
凡庸な絵しか描けなくて、絵の上手な子を横目に、すでにいじける気持ちがあった

おゆうぎ会では、他に何人もいるお花の役だった
主役のななちゃんの、可愛さと綺麗さと輝きには
すでにスター性があった

すでに身長は小さくて、常に前から1番目で
高校で「背の順」がなくなるまで、前ならえでは必ず腰に手を当ててきた

足のストロークに比例して、かけっこは苦手だった
鉄棒ももちろんできなかった
大きなすべり台もこわかった
中学で、かろうじて練習日の少ないバドミントン部に入るまで、マラソン大会はビリだったし、先生と一緒に走ろうねと事前に言われるくらいだった
(いいなあ〜、とクラスから声が漏れたけど、何がいいんだよとそのときも内心思っていた)

好き嫌いが多くて給食が食べられなくて、毎日が憂鬱だった
「好きな教科は給食です!」と笑いをとっていた奴が許せなかった
算数ができないことはそんなに取り沙汰されないのに、給食が食べれないことでは毎日残されたりするのも納得がいかなかった

泣きながら納豆をひとつぶ食べて許してもらったことがあるけど、あの涙は返してほしい
その点、大人は自由でいい

母が人生で唯一褒めてくれたこと(褒めたというか純粋に驚いて言っただけであろうこと)は、なぜか早いうちに漢字が読めたこと
本当にそれだけだ

私は唯一母に褒められた「漢字」のことがとても嬉しくて何度もそのときのことを反芻した

漢字のワークに先生が△をつけることもよくあったが、「書」という漢字だけはちゃんと書けていたようで珍しく花丸がついていた

「朝ごはんを食べない日がある」と手を挙げたのがクラスで私だけで、「体が小さいこと」と認識が一致した先生やクラスの子が少しざわついた

保健室に張り出された「虫歯がある子どものリスト」からもいつも外れたことはなかった

上履きは、正確なサイズがわからないままで、いつも大きいものを履いていた
ストッキングをつめたりして逆に窮屈に履いていた
カパカパ音をさせて歩いていた
高校の友達には、「音でわかる」と言われた
「靴のサイズを正確に測る」ということを、大人になり自分で気づくまで誰にも教わらなかったからだ


早生まれだったこともあると思うし勉強もそこまでできるわけでもなかった
好きなのは国語だった
でも国語は、できたとしてもそんなに人に褒められる教科じゃなかった
算数ができないことに目が向いていたし向かされていたはずだ

褒めてくれるのは親じゃなくて、
いつも外の人だった

真面目だから班長もやったりするし、しっかりした子というイメージで通っていた
でも小学校高学年では先生にあまりめぐまれなかった
クラスも空気がとても悪かった
子どもを疑うし、いやな顔で説教をする
大きい声で威圧して言うことを聞かせようとするタイプの先生がその後も大嫌いになった
(その先生は私が「給食」をテーマにした卒業文集に対して、「給食は私の体だけでなく、心も成長させていたのだろうか。」と問いかけで終わる文を「心も成長させていたのだろう。」に修正するように、伏し目がちに指示した)

線の細い、ヒステリック系の女性の担任にも嫌われていた
間違えて「ママ」と呼んでしまって死ぬほど恥ずかしい思いになっていたとき、「私はあなたのお母さんじゃありません!」と叫んで先生は出て行ってしまった

体調の悪い日に、「給食は無理して食べなくてもいいよ」と保健室の先生に言われて、その担任に報告すると、黙っていてその紙を最後まで受け取ってもらえなかった
なんで受け取ってもらえなかったのか分からず、具合が悪いまま泣きながら給食を食べた


「自分の名前の由来」を親に聞いてくる宿題が出て、「由来は分からないと言われた」と先生に伝えると、「そんなはずはないからもう一度聞いてきなさい」と言われた
親にそれを伝えると「じゃあ今から考えよっか」と衝撃的なことを言われた


私が何かの係で、帰りの会に間に合わなくて、そうっと引き戸を開けて静かに慎重に入ったら、その先生が突然話をやめて私のことをほめたことがあった
「今、◯◯さんがそー…っとドアを開けて入ってきましたね。みんなのことを考えて行動できていて、すごいです」
あなたのことがただ怖いからだよとは言えなかった

みんなが大好きな夏のプールも苦手だった
顔をつけるのが怖くて、常に12級だった
背が届かないので本当に恐怖だった
小1のときは、溶連菌感染症になったためすべて見学していた
(これも後で知ったが、風邪のときなどの抗生物質のとりすぎによる反応らしい)
人が泳いでいるのを暑いベンチで見学していて得られるものなんてほとんどなかった
なんで自分だけここにいるんだろうと思った

苦手な水泳をやらなくちゃいけないのは高校まで続いた
ただの苦行だった
プールのときだけ優しくなる友達がいたりして嬉しかったこともあるけど
基本的に思い出したくない記憶ばかりだ

みんなは平気でずる休みをしていたけど、
水泳が苦手だと先生にもみんなにも認識されている私は、目立ってしまいずる休みができなかった

みんなにできることが私にはできなかった
要領もよくなかった
できなくてもいいと言ってくれる人はいなかった
親からも教わるべきことが教われなかった

小学校のいやな思い出は他にも無限にある
そんなに休まずによく頑張った
そんなに頑張らなくていいんだよと言ってあげたい

たぶんそれでもちゃんと学校に行けていたのは、毎年クラスに好きな人がいたからだ
幼稚園からたくさんの人に恋してきたが、すべて片思いで、ひとりも実ったことはない

私がその後も学校に通えていたのは常に誰か好きな人がいたからだと思う
とはいえ恋というのは素敵なのは最初だけで、嫉妬に狂ってあまりに苦しかったから、もう一生分の嫉妬は学生時代にしてきたなと明確に実感した日があった

たとえ叶わなくても、自分の思いを相手に知られるのは嫌じゃなかった
この自己開示全開な特徴も、だから人に自分の文章を読まれても平気なのかもしれない
初対面の人にも自分の内面や素性を隠す発想はほとんどない
まずは全部開いて、相手によってのちのち閉じることが多い

内向的なのになぜかめちゃくちゃ自己開示するタイプなところも、文章を書くためという意味では布石なのだと書いてて初めて気づいた

学校の話でもうひとつ、言うまでもないが音痴だった
リコーダーももちろん吹けなかった
自分は特に音痴と思っていなかったのに、中学の音楽の先生に「音痴は治る!」と目を見てまっすぐに言われた

ほんとによく生きてきたね?

それから大学時代、私がサークルの何かの担当をしたとき、散々に文章を推敲して、絵文字の色合いや文字量のバランスの隅々まで(機種によって絵文字の表示が違うことまで視野に入れて)考えた文章を、メーリスでそのまま流してくれるはずの副会長が改変したことがあった

そのときは、あまりに頭に来て、とても冷静ではいられず、結局本人になんで変える必要があったのかと問いただしてしまった(しかも本当になぜだったのか理解できない、絵文字や語尾の改変だった)
女子に対してそういうことを言うのは、遺恨が残ってよくないのは経験値で重々わかっていたが、このときは絶対に我慢ができなかった

今考えれば、これも「書くことに対しての思い」ととらえれば辻褄が合う

ここまで大量に書いても自分の人生のほんの一部でしかないなと思うほど、私は常に「つらいから考える」の時間があった、人生は長すぎると感じていた
「月日があっという間」という感覚が本当に分からなかった

とにかく、何が言いたかったかと言うと、
「書くこと」という軸で人生を見たとき、
一本の線がスッと通るのです。

学校で評価される類いのことはほとんどできなかったけど、小学校のときから自分のHPがあって文を書いていたし、中学からブログをずっとやっていたし、リアルタイムも更新していたし、とにかく読むことと書くことだけは一本の軸としてやってきていたのです

だけどそれに今日まで気づけていなかったのはなぜかというと、
「書いてきたものは『小説』じゃなかったから」
これだけです。

書いてきたものは立派な「起承転結のある作品」じゃなかったから。

「文を仕事にできるほど、量も書けないし、お話も書けないし、書きたくないものもかけないから」

この思い込みだけで、私は自分の「書く力」に対して、無意識に大きな制限をかけていた。

この思い込みを奥の深くまで解いてくれたのは、
最近出会ったこの本です。

八木仁平『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』
https://amzn.asia/d/0dJxWLU

読み終わる前からすでに職場の人や友達、Twitterのフォロワーさんにまでおすすめしまくっている。(さっき読み終えた)
自分にとって本当によかったものをすぐに布教しようと勧めまくってしまうのも私の特徴のひとつだ。

まさかのプロモーションオチみたいになってしまって私もビックリですが、出会えた感謝も込めて載せておきます。

だけどもちろん、今まで私の文章を褒めてくれたり、好きだと言ってくれたりした友達や先生、これまで出会ってきたたくさんの人やこと、言葉、自分が人生で頑張ってきたことがすべて今に集結した結果ということは身に染みてわかっています。

この人生はこれから、書くことに使っていきたいよ。
自分のために。

「書くことで生活できるほど収入が得られるようになってから言え」とも、思われそうだし、前だったら自分に思ってたけど、この本を読んだらそうじゃないことも分かる。

軸ができれば、もう自分は怖くない。

人生の第二幕は終わり、三幕目に入ります。


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