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やっぱり!と思うさみしさがきた。

やっぱり!と思うさみしさがきた。
いつも人と暮らしているツケがまわったというか、物理的にひとりきりになると途端にさみしくなるのだから、今夜はやっぱりさみしくなる。
22時に仕事を終えた同居人(なんてこと)を駅まで送り、そのままひとりきりの家に帰るわけにもいかずに川にくる。川には歩く人走る人立ち止まる人がいて、みんな私とは親しくない。

今、私に近しいのは丸い月だけ、というこのような夜に、初めて私は電話というものの存在を思い出す。
優しさのバケツの底が抜けたような友人たちの顔が浮かんだ。

いや、そのため、絶対電話を(誰にも)かけないと決めておいたのじゃないか。このような夜が来る前に。

私は、私が日増しに弱くなっていくのを感じてる。はるか昔、こんな、やっぱり!なさみしさを見つけるまでもなくひとりで懸命だった頃に比べて、私は生命を持て余していて愚鈍で、それでいてしかしながら懸命である。

隅田川にはありえないような色とりどりの光が浮いて、まるでサーカスのようにさみしい。家のいちばん近くの橋のふもとの水は、青いうねりがオウオウと押し寄せて、魚のように懸命に動く。
丸い月は下の方が欠けておぼろげながら光ってる。
190円のパーカーを着た私は少し寒くて、もう家に引き上げようかと思ってる。

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