無農薬無化学肥料の稲作(2期目)
「海の見える畑」マガジンでは畑の開墾についてまとめていますが、実は田んぼもやっています。
今回は田んぼ編の導入として、わたしが無農薬無化学肥料のお米作りについて学んだ経緯をお話します。
食べることの意味
わたしは昔から小食でした。以前、自己紹介記事でもガリガリナヨナヨの虚弱系インドア女子と自分のことを書いたのですが、文字通りの体型でした。
何のために食べるのかすらわからず、サプリメントで済めばいいのにとずっと思っていたのです。(ちなみに寝る必要もなければいいのにと思っていました。)
今思えば、食べる意味がわからないくらい、満ち足りた生活であったとも言えるんやなと自省しています。
食べるものがなくて不安を抱えたまま幼少期を過ごす子どもが世界中に数多いるなか、そのような不安を感じることなく育ててもらったことを、今とても両親に感謝しています。
生きることの意味
大学卒業後、東北被災地を旅したわたしは、そこでゲストハウス業に携わることになりました。
毎日旅人と話し、刺激を受けることは多かったのですが、それよりもわたしの心を揺さぶったのは、被災者である、現地の人々との触れあいでした。
彼らは「生きる」ということをとても重く受け止めていて、それは、表裏一体である「死」をつぶさに見つめた経験があるからだと思います。
わたしは彼らとの暮らしを通じて、「生きる」=「食べる」という、とてもシンプルな理に気付きました。
畑は身近に
食べることに興味が出てきたものの、料理もできないわたしが急に農業に携わるようになったのには、少し飛躍があるように感じるかと思います。
ですが、わたしの生まれ育った大阪の町は、大阪とは思えないような原風景の残る土地でした。
小学校の頃は大根クラブに所属し、中学校には畑があり、生徒たち全員が緑化活動として作物を育てるのが当たり前だったのです。
そんな素地があったからではないかと思いますが、「食べものができる過程を知りたい」と思いました。それが、わたしにとっては食と関わるために必要だと思っていた矢先、母から知らせが舞いこんだのです。
無農薬無化学肥料農家との出会い
実家の近くで無農薬栽培をしている農家がおり、腰を傷めているため田植えの手伝いができる人材を求めているという知らせでした。
わたしは先述したとおり、ガリガリナヨナヨの虚弱系インドア女子でしたが、ゲストハウス業を手伝ううちに、毎月のように行われるバーベキューや、日々のベッドメイク、早朝から深夜まで終わらない客対応をしていたため、感覚がバカになっていました。
翌週には岩手県を後にし、田植えの手伝いにいきました。
それが、無農薬無化学肥料栽培をしている農家さんとの、初めての出会いです。
結果としてその後、ゲストハウスの仕事に区切りをつけ、二年間にわたり、無農薬無化学肥料栽培について教わりながら作業をさせてもらいました。
また、奈良にある自然農塾へ通ったり、気になる講演に出かけたりと、今も勉強を続けています。
その農家さんは、稲作を中心に多品目の野菜作りもしておられたので、さまざまな基礎を学ぶことができました。
そして2020年、結婚を機に岩手県へと移住し、夫T氏の知人である農家さんにお願いして、小さな田んぼで稲作をする機会を得たのです。
反収600キロ
これが、うまくいっている農家さんの数値だそうです。
わたしが教わった農家さんも、無農薬無化学肥料栽培で、この収量に行き着いたと言っていました。
2020年の我が家の田んぼの、収穫日の様子です。
こちらの田んぼも海が見えます。脇には川が流れ、時には昼日中に鹿が駆けていきます。
けっこう出来てるやん……と思われるかもしれませんが、1反の半分の面積で、取れたのが130キロ程度。
1反あたり600キロが目標なので、半反でも300キロは取れるはずなのです。
とはいえ130キロのお米は、夫婦二人で食べられる量ではありません。
まずは稲作を手伝ってくださった地域の方やお世話になっている方々、そして家族にも定期的にお渡しして、最近、とうとう底をついたという量です。
ですが、どうせ作るならいっぱい取れた方が嬉しいのも人の性。
2期目となる2021年の反省と奮闘を、こちらのマガジンでまとめていきます。
海の見える畑についてはこちらのマガジンにまとめていますので、畑の方も興味がある!という方はぜひご覧ください。
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