【連載企画】みやざきぶらり旅 近現代建築編
明治時代以降に建てられた県内の個性豊かな建築物の価値や魅力について、記者が現地を訪ねて体感する。
※このコンテンツは、2023年1月18日~2023年3月22日まで宮崎日日新聞社・くらし面に掲載されたものです。登場される方の職業・年齢等は掲載当時のものです。ご了承ください。
1.青島青少年自然の家(宮崎市)
■水に囲まれた非日常空間 創意と熱意 設計に込める
まるで水に浮かぶ大きな船、いや要塞にも見える宮崎市の県青島青少年自然の家。小学5年生の時に学校の研修で泊まって以来、30年ぶりに足を踏み入れた。外観、内部とも唯一無二といっていい個性的な造りは、級友たちと一夜を過ごすという非日常感も相まって40代になった今も鮮明な記憶となって残っている。
建物は1975(昭和50)年完成の鉄筋コンクリート3階建て(一部地階あり)。一度に300人程度が宿泊可能。これまでに多い時で年間8万人超を受け入れたこともある。設計したのは“モダニズム建築の巨匠”と称される坂倉準三(1901~69年)の事務所だ。
取材は宮崎市の1級建築士でひむかヘリテージ機構世話人の柴睦巳さん(68)に同行してもらった。建物の周りは人工池で、柴さんは「この水に大きな意味がある」と、まず教えてくれた。この場所は昔、清武川と加江田川が合流した河口だったという。さらに、私見とした上で「池は隣の県総合運動公園とは違う施設だと人々に意識させる狙いもあった」と語る。
池に架かる橋を渡ると吹き抜けの空間があり、その先に運動広場が広がる。建物はL字型をしていて、外観は運動公園側の独特な意匠に対して、広場側はベランダが並びアパートのよう。それでも、上の階が下の階より前にせり出していて個性を主張している。
建物内部に入ると廊下には船を思わせる丸い窓が並び、洗面所はガラス窓が前面から天井近くにかけて連続。他に無いデザインで非日常感を演出している。そして、いよいよ宿泊室へ。
部屋は入り口から下るように階段状となっており、両側に2段ベッドがずらりと並ぶ。明かり取りの窓もある。30年前の宿泊研修で秘密基地のような部屋に興奮して走り回り、先生に怒られたような…。西側地階にある風呂場と脱衣所がこれまた個性的で、好奇心をくすぐる。共に窓があり目の前は外壁で視界が遮られるが、のぞき見下ろすと外の池が見えるのだ。
柴さんは東京の大学に在籍していた頃、完成間もない青島青少年自然の家が建築専門誌「新建築」の表紙を飾り「誇りに感じた」と振り返る。ただ、完成約1年後に訪ねると外壁は汚れ「がくぜんとした」という。今も敷地外から見える白壁はくすんでいる。
周囲が池で掃除の足場を設けるのは難しそう。加えて、屋上に立つと別の理由が分かった。雨が外壁側に流れる構造になっていた。本来であれば内側に流れるように造るといい、柴さんも「デザイン優先の結果なのか…」と首をかしげる。
「(同自然の家のような)野外活動施設は建てられた60年代、それまでに無かった機能を持つ新しい施設だった。そうした中、当時の専門誌などを見ると、設計者はコンセプトを“みず”に求めたようだ」と、柴さんは指摘する。
柴さんは、坂倉の師匠でモダニズム建築を先導したフランスの建築家、ル・コルビュジエ設計の同国にある修道院を訪れ、同自然の家の空間構成に通じるものを感じたという。「設計時に坂倉はすでに亡くなっていたが、後を継いだ事務所スタッフたちがコルビュジエの空間構成を参考にしたのではないか」
大人になって再訪し、設計者が宮崎の子どもたちにいかに思い出に残る経験をしてもらうか、そのための創意と熱意がデザインに込められていたことに気付かされた。そして、その思いは30年前、1人の少年にしっかりと伝わっていたことも。
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