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娘は娘の人生を 私は私の人生を

私は毒母とは17年間の付き合いしかない。
自殺して死んでしまったから。
あれからもう37年経つのか。
重度の精神疾患だったから、看護はとても大変だったけれど、もうどんな人だったのかもよく覚えていません。
いや、記憶から消し去りたいのかもしれません。
年老いた実母との関係に苦しむ娘の立場の人を知ると、いろいろ大変だなあと思う。
全力でおっかぶさってきますからね。

私は毒父の虐待と過干渉と共依存に50年苦しめられてきたので、親に執着される娘の苦しみは良く分かります。
でも母親のそれとは違うのかもしれないね。
女の子だから母親の気持ちが分かって当然、母親の言うことに従って当然、母親より美しく幸せになってはだめ、母親を精神的、経済的、肉体的に支えて当然。
母親と娘の関係って距離が近いし、長生きしすぎだし、女の子だから助けてくれて当然、ってホント重いんですよ。

だから私は娘が結婚して家を出ていっても、娘にしがみつくことなく、私は私の人生を生きようと思います。
本当に年取って身体や脳がだめになってしまったら多少の迷惑掛けてしまうのはゴメンだけれど…
出来る限り最期まで自分のことは自分でして、介護が必要でない人生を送りたいな。
娘には娘の人生が、私には私の人生があります。

毒親育ちの母親は、自分の不遇だった子供時代を思って、若さに溢れて、自由奔放に、幸せそうに生きている娘が、妬ましいと思ってしまうことがあるんですよ。
子育てしているときには、自分が毒親にされてきた酷い仕打ちを思い出して涙してしまうし、愛してもらったことがないから、どう愛情を掛けたらよいのか分からない。

母性と言うのは、女性なら誰でも生まれながらに自然にインストールされているものではないし、お腹を痛めて生んだからといって愛情が湧くというものでもありません。
ましてや女同士なら、娘が成長していく中で、女の嫌な面を垣間見て、苛つくこともあるし、大きくなれば、「お母さんのようにはならない」と娘に自分の存在価値を否定されることもあります。
娘って実はすごく残酷な生き物なんですよ。

だから、毒母が私に愛情を掛けてくれなかったのは、愚痴のごみ箱にして、姉妹差別をして、私を憎んで妬んで育てたのは、仕方がなかったのかな、と諦めています。
毒母の愛情に1㎜の期待も無いんです。
毒母は、自分ばかりが可愛くて、自分ばかりが可哀想な人でしたからね。
この諦めも、人間同士の関りが17年間で終わったことだから、成立することなのかもしれませんね。

私は娘には、精神疾患の私のことは気にせず、自分の生きたい人生を好きなように生きて欲しい。
結婚してもしなくても、子どもを産んでも産まなくても、健康に気を付けて、幸せに生きていって欲しいと思います。
子どもが自立して幸せに生きていることが、最大の親孝行だな、と私は思います。

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