さびしんぼ
夜行バスで西に来ました。小雨の朝です。旅に出てはみたものの、どうも気分がぼんやりしたままで、軽くモーニング食べて、さて電車乗るか!と思ったけど駅のトイレで歯みがきするうちに何か気が変わって、改札でSuicaの取消しお願いしてすぐ横のスタバに入って、今朝二杯目のコーヒー飲みながらキーボード叩いてます。
北東北旅行から帰ってきてライブいくつか出てレレレお手伝いして、その合間に引きこもって読書したり、その後一週間くらい何人か友だちと会って年内最後かね〜みたいな感じでご飯食べたり乾杯したりするうち、旅行に出てたのとちょうど同じだけの日数が経ってました。
北東北へ行く前もライブやら何やら予定詰め込み過ぎてしばらくぐったりしてて、泊めてもらった友だちにいつもそのパターンだよね、そろそろどうにかしたらって指摘されて、ほんとその通りだなと自分でも思うのだけど。
一昨日飲みに行った友だちにそんな話をしたら、疲れてたら無理して会おうとしなくても訳を話せば分かってくれるよって言われて、それはそうだなと思いつつもなんとなく消化不良な感じで頭に残ってて、夜行バスで寝たり起きたりiPod聴きながらとりとめなく考えごとしてて気づいたのですが。
子供の頃に家族五人で出かけるときとか弟二人がそれぞれ父と母とペアになってわたしは一人になることが多くて、それがものすごく寂しかったけど自分から言えないし親は全く気づいてくれなくて内心ぐっと我慢するしかなくて、今でもこの絵本の表紙を見ると反射的に涙ぐんでしまうくらいです。
多分、心の一部はそのときの寂しい女の子のままで、だからこそ、好きな友だちに会って話を聞いたり話をしたりすることは自分にとってとても大切なのかなって思いました。寂しさを紛らわすという意味ではなくて、人はみんな一人だし、根底にとことん寂しさがあるからこそ、好きな人や友だちのことはわかりたいし大事にしたい。それは、寂しくて寂しくて泣きそうだけどどうしても言い出せなかった小さい頃の自分をよしよしってケアしてあげるのに少し似たことなのかなという気もします。案外陽気だったり、好奇心が強くて気が強い面も多々あるから一見わかりづらいかもしれないけど、そういうさびしんぼな自分だったからこその今なんだなと。さびしんぼでよかった。
そんなことを考えたのは、弘前の古本屋でふと買ったこの文庫本をここ数日再読してたせいかもしれません。
見送ってくれた友だちが写メで送ってくれた。ありがとう。
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