覚めないの
「こんなに空は青いのに
心が晴れないの
こんなに春が春なのに
心踊らないの」
改めてこの歌詞が胸に沁みる春だなあと思います。たしか震災のあとに出来た曲で、ライブで聴くたびにどんどんアレンジが変わっていったことが記憶に残ってる。
アナログフィッシュの「抱きしめて」という曲も、ここまで切実に響く今って…と途方に暮れる思いですが。
こんなとき、表現する人もそれぞれに違って良い、違うから良いんじゃないかなって漠然と思ってます。これまで以上に精力的に活動する人もいれば、積極的に政治に物申す人もいて、何もできなくなってしまう人もいる。それは自然なことのような気がします。みんな違って良いじゃないか。
前回のnoteに書いたんですけど、私は昔から物事を真に受けやすいタイプで、十代の多感な時期には、環境問題とかどんどん大変になってくるこんな世の中で子供産んで育てるとかムリじゃない?と割と本気で思って、けど子供は好きだし(自分も子供だったけど)自分が産まなくてもおそらく生まれてくるであろう子供を大切にすればいいんじゃない?まあ機会があれば産んでも、くらいな気持ちでいたら、そのまんまの人生を歩んでます。子供を産まない選択をした人も周りに多いけど、産んでる人もやっぱり多くて、そして、子供の存在が人類にとって希望につながるんだなということが実感できる年齢になってきました。今二十歳前後の人と接するともはや親御さんと同世代だったりして、親目線もぼんやりながら想像できるし、友人知人の幼い子供のかわいいことと言ったら。苦労も喜びもひとしおだろうし、子供がいるからこそ頑張れたりするんだろうな。自分が幼い頃の、今の自分よりずっと年若かった両親のことを考えたりもします。
話はちょっと飛びますが、グレタさんの存在を知ったとき、個人的には救われるような思いがしました。今もし自分が十代だったら、影響を受けて実際に何かしらのアクションを起こしただろうとと思う。勝手なこと言うな、お前ら大人が何もやらなかったから自分がやってるんだって怒られてもしょうがないけど…。リスペクトしてます。
これまでに何度か精神の調子を崩して入院したことがあって、キツい体験だったけど、もし時代が時代だったら座敷牢に閉じ込められてそのまま一生を終えたりもしたのかなと思うと、現代で良かったとつくづく感じます。非正規雇用だけど同じ図書館で長く働けて本当にラッキーだったし、そのおかげでライブを観に都内に通うようになって新たな友人ができてバンドに参加して自分で音楽やるようになって。
そう、思春期の頃は、この先日本の社会に馴染める気がしなくって、自分みたいな頭でっかちで要領のよくない人間は大学くらい出ないと使い物にならないだろうと思ったけど、とは言え建前を取り繕って就職活動して良い企業に就職しようだなんて気にもさらさらなれず、教職くらい取れと口を酸っぱくして両親に言われたけど自分が好きじゃなかった場所で先生面するなんてこれっぽっちも考えられなかったし、バイト暮らしで一生借家住まいでも構わないから身の丈に合った生き方ができればって漠然と、けど本気で思ってた。
本が好きで、音楽が好きで、料理を作ったり食べたりも好きで、この歳になって最近つくづく感じるのが、連綿と続いてきた文化や人の多様な営みに支えられてここまでどうにか生き延びて来られたんだなということです。楽しいこといっぱいあった。だからこそ、自分が受けてきた恩恵を自分にできる形で周りに返して行かねばと本気で思う今日この頃です。甘えた外れ者だからこそできることもあるんじゃないかなって。
小学校三、四年生のとき、絵が好きな弟の付き添いで週一回隣町の絵の教室に通ってました。お子さんのいらっしゃらない女の先生が、ご夫婦二人住まいの団地の一室で教室を開いてらして、専門は油絵で、おうちにあった油絵のでっかいキャンパスや油絵具の匂いをぼんやり覚えてます。学校で絵を描くときのろまな私は時間内に終わらせることができなくて苦痛でしかなかったけど、絵の教室ではマイペースなところを先生が認めて伸ばしてくれたおかげで絵が好きになって。大人になって美術館で絵の鑑賞を楽しめるようになったのは先生のおかげだと思ってます。「僕の好きな先生」として真先に思い浮かぶのは絵の教室の先生です。
先生と生徒、大人と子供、という定型の関係性じゃなくても、そういったことを周りに返して行けたらといま心から思うんです。妄想に過ぎないかもしれないけど。
この文章を書き始めたのは一昨日なんですが、昨日、「抱きしめて」のカバーをツイッターの「うたつなぎ」にアップしたのでもしよかったら聴いて下さい。
そして、敬愛する音楽家であるキセル兄さんの「うたつなぎ」も僭越ながら貼らせて頂きますね。
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