一人
前回の記事で、松山三越と勘違いして高島屋の写真をアップしてたことに後から気づいて恥ずかしかったです。文字処理速度は早いのですが、関心の薄い事柄に対する言葉を介しての認識がひどく大ざっぱで、つい最近だと、アジカンの新曲の塩塚モエカのボーカルよかったね!と伝えたかったとき、沢尻エリカと混ざってしまって、「塩尻モエカ」と言って「…誰すかそれ?」と若人に突っ込まれたのが記憶に新しい。加齢(及び飲酒)による記憶力の低下と、早とちりと、けどこの感覚があるから歌詞を作れてる気も。(余談ですが、「触れたい確かめたい」のサビが「触れたいんや確かめたいんや」って関西弁に聞こえるってツイートには笑った。)
自分の薬をつくる、やっぱり面白かった。自分にとってはもはや実用書以外の何物でもない。
土曜日の朝、出かける前に布団の中で読んでて「気持ちを深く汲み取れるのは特殊能力」って章でちょっと泣いて、電車の中でClimb The Mindというバンドの「ほぞ」というアルバムを何気なく聴いてみたら不意にまた泣きそうになった。(Climb The Mindは、バンドのサポートメンバーとしてライブで遠征したりしてた頃、ボーカルの方のソロひきがたりを拝見したことで知りました。ちょうど一年前、Emotional Riotというイベントでようやくライブ観れてうれしかった。来月新譜が出るらしいです!)
自分が自分の存在を許容して、ただすとんと「今」にいるだけで、こんなに心地よい感覚なのか。特にこの夏は、一人でいるときに音楽を聴いてもうるさく感じてしまうことが多くって、何が自分をこんなにしんどくさせてるのか皆目わからず、負のスパイラルに入り込んで抜けられなくなっていたような状態でもあったんだなと。で実際に胸のあたりの緊張が強くって呼吸が浅くて(それは子供の頃からずっとか)。スマホで受け取る情報量が増えてスピードも速いことも、自律神経によくなかったんだろうな。
家にいて、母に対して、反射的な拒否反応が抑えられなかったのは、そういうことだったのかもしれない。子供の頃の記憶や、母自身がずっと感じていた辛さ、弟が抱え込んでいたしんどさ、今さらそれらにどうしようもなく過敏になっている自分がいて、いい歳なのに大人になりきれないことが恥ずかしくて情けなくて、自分を責めるような気もちもあったから、余計にがんじがらめになって身動き取れなくなってたんだな。で、身体を強制的に緩めるためにお酒のんで。
その昔、他大学の臨海実習に友達三人と参加したとき、三人にそれぞれ呼び名がつけられて、自分が「一人でできる子ちゃん」だったことをなんとなく憶えてます。わたしはやっぱり世界を認識するときに言葉がとても重要なツールなので、ボルダリングのホールドみたいなイメージで言葉をよすがに、try and errorを繰り返しながらごりごりマイペースでやってくのが好きで。それは必ずしも孤独というわけではなくて、言葉の向こうの人の声に耳を一心に傾けて集中しているような感覚。もちろん実際に人と接するのも好きだし。肩の力を抜いて、深くゆっくり呼吸しながら、焦らずやって行きたい。
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