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#9ジージの手作りスマホ。

休日にショッピングモールへ買い物に行くと、いろんな人を目にします。家族づれの人、友達同士でワイワイにぎやかなグループ、一人静かに歩いている人。弾んだ気分のもれ出ている人が多い中、疲れたおじさんを見かけるとホッとします。基本的に、私はいつも疲れ組のほうに属しているからです。モールには所々に休憩用ソファが設置してあります。あれを見ると椅子取りゲームのような気持ちになり、私はつい突進していきます。疲れ組ががぜんやる気組へと変じるのです。

「やれやれ」
今日も自分の椅子を無事にゲットできました。すごい満足感&達成感です。一呼吸して心を鎮め、さり気なく周りを見渡します。座っているのは大半が高齢の方々です。
「あら」
よく見ると皆さん、静かに自分のスマホを使いこなしておられます。慣れた手つきです。私はついジージ(私の父)のことを考えてしまいます。

ジージは昔から機械音痴でした。若い頃から柔道を続けていて、強そうな外見をしていました。親戚のおじさんやおばさんからも少し恐れられていました。私が中学生の頃、生徒指導をしていた担任の先生から、
「おまえの父ちゃん、迫力あるなあ」
と感心されたこともありました。そんなジージだったので、周りから自分の弱点を指摘されることもなく、自分から「おれ、機械苦手でさ」と相談する機会もなく、数十年後にはカラダだけは丈夫なおじいさんになりました。

一応、ガラ携の操作はできるのですが、着信履歴を残しても折り返しかけてくるのは一週間以上経ってからです。毎日携帯を使っている認知症のバーバの方が、もしかしたら操作能力は高いかもしれません。

高校の社会の先生だったジージは、若い頃から歴史の本をよく読んでいました。骨董も好きで、柔道関連の書物もたくさん持っています。定年退職の前くらいからでしょうか、気に入った文章や心に留めたい本の内容を原稿用紙やノートの切れはしに書く(模写する)のが習慣になったらしく、今では家中いたるところに本から抜き書きした自筆のメモがちらばっている状態です。

もしジージが有名な小説家だったら、それは生原稿として高い価値があることでしょう。でも実際は単なる老人の手書きの紙切れです。できれば紙くずとしてゴミ箱に捨ててしまいたいところです。家がスッキリ片付きます。ただ、それが手書きであるせいで、書き手であるジージの念を感じてしまい、邪険には扱えないのです(家の片付けが進まず、残念でなりません)。

「他人の言葉をメモして、自分まで賢くなった気分に浸ってるだけでしょ」と言ってやりたい気もしますが、いつのまにか私自身、同じように人の言葉をありがたくメモする癖が身についてしまい、ジージの気持ちが半分、分かってしまう妙な立ち位置にいる始末です。記憶力が低下している分、紙に書き残しておけばいつでも見直せるという妙な安心感があるのだろうと思います。

このメモが一番役に立つのは、ジージが外出した時です。病院の待合室、家族そろってのお出かけ、外食での順番待ち。家の外で少しでも時間が空くと、おもむろに胸のポケットから自作のメモを取り出し、目を細めて眺めています。大事なものに目を通しているかのような表情です。

「まあいい、あれはジージのスマホ代わりだ」
大勢の人が座っている場で、ジージが真面目に自分のメモを読んでいる姿を見ると、まるで小さな子どもが手作りの絵本を読んでいるのとか変わらないじゃないかという妄想が湧いてきます。(一度笑い出すと止まらなくなりそうなので、私はまだ一度もその場で笑ったことはありません。)でもあれが、ジージの心を一番和ませる時間潰しアイテムであることは間違いないようです。

「でも自分は、ああはなるまい!」
ジージと同じく機械音痴の私は、数十年後にくる自分の高齢期に備え、4年前からガラ携をスマホに替え、家電製品を買った時には説明書に目を通し、分からないことがあればテル坊に尋ねるように心がけています。




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宮本松
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