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#42指輪物語。

「もしもし、○○さん(わたしの名前)の携帯ですか?」

去年の春のことです。わたしとテル坊、ミドリーの3人が引っ越しして、まだなれない環境の中、ジージ(わたしの父)とバーバ(わたしの母)が通い始めたデイサービスの責任者の方から、お電話をいただきました。ドキ、何かあったのかしら。
「じつは、お母さまのことなのですが」
一気にわたしの眉間に心配のシワがよりました。

責任者の方の話は、次のようなことでした。通い始めたデイサービスに、バーバが、もう何度か電話をかけてきているというのです。それも通所日ではない、ふつうの日に。内容はいつも同じで、

「お願いします、どうかわたしの指輪を返してもらえないでしょうか」

と訴えるのだそうです。どうやらバーバは自分の指輪が、デイサービスの送迎員の人にとられたと思っているらしいのです。

「わたくしどものスタッフに確認しても、そのようなことはないと思うのですが」
「はい、はい。わかります」

だって、だって、犯人はわたしなのですから。

電話をいただく数週間前のことです。テル坊の転勤先がわかって、我が家は引っ越しの準備で大忙しでした。

(今回は遠くに移動することになるから、今までよりも帰省できる頻度が減ってしまう)

わたしは、引っ越し準備をすませてから、実家の掃除に全力で取り組もうと帰省しました。気持ちを鼓舞するために持参したマイエプロンをつけ、せっせと掃除を始めます。家中の掃除機かけからトイレの掃除、お風呂掃除、台所周りの片付け、そして冷蔵庫の賞味期限きれの品物の廃棄、両親の寝室の整理整とん、などなど。いったん掃除に取りかかると、次から次へと気になる箇所が見つかり、掃除を済ませてしまう前に、自分の気持ちのほうが先に折れそうな気配を感じました。そんな中、ミドリーの一言。

「母ちゃん、ばあちゃんの指輪が、指にくいこんでる!」(ミドリー)
あわてて、わたしもバーバのそばにかけよりました。
「ちょっと、ちょっと、母さん、手を見せて!」(わたし)

母の左手の薬指は、指輪のはまっている付け根のあたりが、不自然にくぼんでいます。これはまずい。指輪を外せるうちに外しておかないと、血行不良で指が大変なことになる。そう思ったわたしは、ちゃんと理由も説明しながら、バーバの指輪を苦労の末、ぬきとりました。

その数日後、
「あれ、ばあちゃん、また別の指輪をはめてるよ!」(ミドリー)
見ると今度は金色の指輪が、薬指にくいこんでいます。それは昔、結婚数十周年の記念に、ジージがプレゼントしたものだったのです。わたしは泣く泣くその指輪も抜きとって、ジージにも事情を説明し、バーバがふだん触らない貴重品入れの中にしまってもらうことにしました。保管完了。ほっと一息。そう思っていたのですが、認知症のすすんだバーバは一人でこっそりと、なくした指輪の行方を追っていたようなのです。

「お願いします、どうかわたしの指輪を返してもらえないでしょうか。あれは、主人にもらった指輪なので、なくしたことは主人には内緒にしているんです」
と、電話口でバーバが相談員の方に話したらしいのです。ああ、なんという…。その言葉にはバーバの女心が現れていて、わたしは自分が悪い魔女にでもなったような、めまいがしそうな気持ちでした。

電話口で、わたしはデイサービスの方に事情を説明し、実家によく足を運んでくれる親戚のおばさんにも伝えて、直接バーバに再度説明をしてもらうことにしました。

「もしこのまま、何かを取られたなどという言動がつづく場合は、申し訳ありませんが、デイサービスの利用をお断りさせていただく場合もあります」

それはそうでしょう。さまざまな状況を抱えた老人たちが大勢あつまって、そこで取った盗られたなどのトラブルが起こるようなことになれば、多くの人に迷惑をかけてしまいかねません。

幸い心配していたほど、事態は長引かず、その後は電話事件も起こすことなく、両親は毎週一回のデイサービスにそろって出かけています。これでようやく一件落着。

いつかバーバの体型がもう少し元にもどって指輪をはめられる時がくればよいが、と心の中で願うばかりです。ともあれ80歳近くになった両親の指輪物語は、この先もずっとわたしの大切な思い出のひとつになりそうです。




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宮本松
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