#134 単純でやさしい幸せ。
この頃わたし、メンタルの方が落ちてきてるのよと、テル坊に話してみました。毎日のように、腕が痛くなってきただの、疲れたから横になりますだの弱音を吐いているにも関わらず、「メンタルが・・・」っていうのは、伝えているようで伝えていなかったのです。家族でも、身近にいる人であっても、何もかもを共有しているわけではありませんから。
家事を分担してもらって、テル坊にもミドリーにも助けられている毎日です。ありがたいなと思う一方で「申し訳ない」という気持ちも湧いてきますし、「一体いつまでこんな状態が続くのか」と思うと、終わりが見えないことに対して、悲しみや空しさの混ざり合ったような感情が込み上げます。それに加えて、自分よりもっと大変な病気や状況の中で頑張っている人も、世の中には沢山おられるのにと思うと、余計に気持ちが沈んでいくのです。
「ハハハ」
わたしの話を聞くと、テル坊は笑いました。
「そんな、無理してやらなきゃいけないことなんてないから。何もしたくないなら、のんびりしてればいいじゃないか?」
これは、わたしの気持ちを十分に理解した上でのコメントだと言えるのでしょうか?でもこれって建前ではなく、テル坊は本当に、心からそう思っているようです。「出来ないことをクヨクヨ悩んでも仕方がない」それがテル坊の信条なのです。
そんなテル坊が今、俄然力を入れていることは、わたしの代わりに夕食の支度をすること以上に「美味しい外食のできる店を探す」ことと「美味しいテイクアウトのメニューを探すこと」、食後のおやつに自分の大好きな和菓子の回数を増やすことなのです。
「今日は何時に出発する?」(わたし)
「そうだなあ。7時半くらいにしようか」(テル坊)
日曜日の夜、丸源ラーメンに出かけました。チェーン店らしいのですが、これまで食べたことはありませんでした。ちょうど期間限定で復刻肉そばというのが食べられるらしいのです。
行く前は、そんなにお腹も空いてないし、外食だとお金もかかるしと心の中でブツブツと小言を唱えていたわたしですが、暗がりの中、目指すお店の明るい看板が見えてくると気持ちが弾んできます。夜のお出かけは、ちょっとした冒険気分も味わえるのです。
店に入ると、お揃いの丸源印のTシャツと前掛けを付けた店員さんが、気持ちよく挨拶して、席まで案内してくれました。想像以上に多くのメニューが取り揃えてありますが、今回はみんな揃って「復刻肉そば」と、餃子を分け合いっこに決定です。
いつものことなのですが、自分たちの注文が終わった後も、テル坊は熱心にオーダー用のボードをポチポチして、どんなメニューがあるのかを確認しています。
「どうして、そんなに見るのよ」(わたし)
「だって、参考になるからさ」(テル坊)
一体、何の参考になるというのでしょうか。はま寿司に行っても、オリーブの丘に行っても、すき家に行っても、いい歳をした大人が小学生のように目をキラキラさせてメニューを眺めているのです。
でも、そんなテル坊の楽しそうな様子を見ていると、わたしの気持ちも段々とほぐれてきて、次第に美味しいラーメンを待つ楽しさだけに、気持ちが向いていきます。美味しいものへの期待と店員さんの温かなサービスのおかげで、あれほど暗く傾いていたわたしの心に、幸せを感じられる余裕が生まれてきます。イライラした気分を解消しようと一人で豪華な食事をしても、こんなに柔らかな気持ちにはなれないのかもしれません。一緒に幸せを共有してくれる人がいて、幸せがちゃんと味わえるものになる。
「復刻肉そば」は、さまざまなトッピングが浮かぶ熟成醤油味でした。旨味が凝縮されたお汁です。焼き豚だけでなく、一頭から数キロしかとれない希少部位の豚肉ものっています(そんなことは勿論知らずに、パクパク食べてしまいましたが)。大きな焼き海苔が3枚付いていて、どのタイミングで麺をくるんで食べようかと考えながら食べるのも楽しみです。餃子には珍しい香辛料が混ぜ込んであって、薬膳みたいな香りが口の中に広がります。
食べている間、周りの席をちらりと見ると、中年男性の一人客や、やや高齢のご夫婦が何組かおられ、皆さん静かにラーメンを味わっておられます。ラーメン屋といえば「賑やかな・ざわざわした」イメージがありますが、イタリアン風なオシャレな気分で味わうラーメンもまた良いものです。
「ごちそうさま。美味しかったです」
単純でやさしい幸せを、丸源ラーメンさんでいただいて、わたしはちょっと元気になって家路についたのでした。
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