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#140コロッケの日。

今月の連休中、息子のドラちゃんが遊びにきてくれました。同じ関東に住んでいても、いざ会おうとなると電車を乗り継ぎ3時間ほどかかります。ドラちゃんにとっては、来るのも帰るのも結構なエネルギーが必要なことでしょう。

金曜日の夜遅くに到着し、月曜日の朝早くに戻って行ったので、一応三日間は寝泊まりしたことになりますが、本当にあっという間のことでした。一緒にいる間にやったことと言えば、ひたすらなお喋りとオススメのDVDを見せること、畑の芋掘りの手伝い、それからご飯を食べることくらいです。

「久しぶりにコロッケでも作ろう」
最近、芋を一度に大量に使った料理をすることにハマり気味のわたしは、その前の週にマッシュポテト・ポテトサラダを上手に作れたことに気を良くして、大量のコロッケを作ることにしました。

コロッケは子どもたちが小さかった頃のわたしの得意料理です。フライパンを使って少なめの油でこんがりと焼くのです。北海道産のジャガイモを使ったコロッケは美味しそうに仕上がり、みんなでホコホコしながら食べました。

そういえば、前にコロッケを作ったのはいつだったのか?思い出してみると、ちょうど一年ほど前。その時も確かドラちゃんが泊まりにきていたのでした。あら〜、一年も作っていなかったのか。自分の怠けぶりに驚きます。

(ああ、こうやって子どもにしてやれることは、段々とご飯を作ってやることだけになっていくんだなあ)

食事のあと、お皿の片付けを手伝ってくれるミドリーの隣りでぼんやりとそう思いました。ドラちゃんが仕事を始めて7ヶ月、社会人としての責任や今の自分に出来ること・出来ないこと、この先の見通し、いろいろな思いを抱えながら日々の生活を営んでいるようです。暮らしの表面的な部分を、多少聞かせてもらっても、本当のところのしんどさや苦しみは、もう本人以外には分からないのです。

それにしても…。歳をとればとるほど、一緒にご飯を食べることの有り難みが身に染みるような気持ちになるのは何故でしょう。子どもたちがまだ学生で、こちらももう少し体力・気力ともに充実していた頃は、少しでも美味しい物、珍しい物を食べることに、あれほど意識が向いていたというのに。今では自宅でのんびり寛いだ雰囲気の中で、ほどよく美味しいものが口にできれば、それで充分ではないかと思ってしまいます。

両親がまだ元気だった頃、年に二回の帰省の折には二人が台所に並び、せっせと料理を作ってくれました。気の短い父は、すぐに母を怒鳴って、まるでケンカでもしているかのような場面も多くありました。その当時、気持ちのゆとりのなかったわたし(今もゆとりは少ないですが)は、それを有難いとも思えず、「ケンカするくらいなら自分たちで作らずに、買ってきたお惣菜を並べるだけでもいいのに」くらいに感じていました。

でも。きっとあの頃の両親も、遠く離れ、母子家庭で奮闘していたわたしたち三人(わたし、ドラちゃん、ミドリー)に、少しでも手作りの、栄養のあるものを食べさせたい一心で、台所に立っていたんだろうなあと、この頃ようやく思えます。

そんな思いを胸に、先週から一週間、九州に帰省しているわたしですが、実際に戻ってくると、しんみりしている場合じゃありません(苦笑)。認知症が益々進んでいる母の、同じ発言の繰り返しに、すぐに腹を立て、家事の邪魔をされることに怒り「こんなはずじゃなかった〜!」日々をなんとか一日ずつ、超えているような状況です。

手作りで、ちょっとでも美味しいものを食べさせてやりたいと思っても、お昼に外食をしたがる両親は、夕ご飯にはあまりお腹が空いていなかったり、食欲にムラがあったりで…。食欲旺盛な若いドラちゃんにコロッケを食べさせるほど簡単にはいきません。

昨夜はご飯を作る気力もなくしかけていたわたしでしたが、今日は朝から二人してデイケアに出かけてくれたので、その間にコインランドリーに出かけ、買い物を済ませ、ポテトサラダを作り、夕方はブリの照り焼きでもしようかと。noteを書きながら、自分を励ましているところです(笑)。

(R6/10/18記)




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宮本松
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