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#141居心地の悪さ。

この記事を投稿している頃は、実家の手伝いを終えて、自宅に戻り、普段の生活を再開しているだろうと思いつつ、今はまだ実家の二階の机の上でパソコンを広げている。

この二年ほど、九州から遠くはなれた場所で暮らしているせいで、帰省した時には一週間ほど滞在するスタイルが続いている。一週間は途轍もなく長いと感じることがあるものの、過ぎてしまえばあっという間だ。そして毎回いろんな思いが残っていく。

帰省した当日は、場所を移動した興奮が自分の中に残っている。両親には、再会の喜び以上に、日頃の生活の疲れが垣間見える。とくに認知症の母をみている父の疲労の色は濃い。うちは元々、母が世話焼き女房で、父はなんでも母に頼っていた。母が認知症になったことで父が変わったかといえば、ほとんど変わらない。母の記憶力が衰えていくことを嘆きつつ、自分はほぼこれまで通りの生活スタイルを続けていて、母を気遣いすることは少ないように見える。でもそれは、傍目にそう見えるだけの話だ。

人が誰かと共に暮らしていて、相手からの影響を受けないのは無理な話だ。母の記憶力が低下するのに引っ張られるように、最近は父の記憶力の衰えも凄まじい。そして認知症の母と違い、しんどさや苦しみが表情に滲みて出ている、ように見える。

お互いに気持ちの余裕がなく、また普段の生活スタイルがずいぶん違うこともあって、帰省して数日はケンカが絶えない。電話では言いたいことを伝えらないせいで(記憶力の問題もあって)、直接会った時に話しておかねばならないと思うことも多いからだ。

でも最近、ケンカの理由はそんなこととは違うような気がしている。何か片付けておかねばならない要件のために、お互いにケンケンしているわけではなく、心の中に溜まっている不安や不満、怒りが、溢れてきているだけなのだなあと。感情にはそれを受け止めてくれる相手がいなければ、表現することすらできない一面がある。

どうしてそんなことを考えるようになったかと言えば、妹から同居している義理のお母さんが急に精神不安定になってきている相談を受けているせいである。ずっと元気で外出好きだった義母が、それまでとは別人のように体調不良を訴え、姉妹や妹夫婦に甘えてくるという。その話を聞いたうちの父が「年を取ったら、皆不安になるものだ」と、さも当たり前のように言うのを耳にした時、そうなんだ、それが老人の心理なのかもしれないと思ったのだ。

ケンカしてお互いがスッキリした後は、父が昔の懐かしい思い出をこれでもかと言うほど話をする。思い出だけは、いつも溢れるほどあるらしい。話している間だけは、この先の心配(介護が必要になった時のことや死のこと)から逃れられると思っているのではないかという気持ちにもなる。若い頃の苦労話や、亡き祖父母の思い出などを口にしている間、父の表情が柔らかくなる。

わたしが自宅に戻る数日前になると、今度は二人きりの生活に戻る不安が父の顔に現れ始める。母は日に何十回もカレンダーを見て「あと何日」などカウントしている。そんな姿を見ると益々申し訳ない気持ちで、苦しくなる。いよいよ出発の時には、湿っぽくならないように「またすぐに帰って来るから」と何度も言い聞かすようにして家を出る。

両親がまだ元気でいてくれることは有り難い。でも二人っきりの時間をどんな風に過ごしているのか、その本当のところは分からないから、実家に戻って居心地が良いと思えることは、どんどんなくなっているのが現状だ。こんな気持ちにならずに、自分の気持ちの整理をして、帰省した時間を過ごせる人もいるのだろうけど。今のわたしにはこれで精一杯で、せっかく一緒にいても、何かいたたまれないような、しんどい時間を共にしている。

まずは自分の気持ちを明るくすること、自分の喜びを大事にすることから始められたらと頭では考えるのだけれど、目の前に、生きていることに途方に暮れたような両親の姿があると、なかなか上手く気持ちを切り替えられない。

そんなことを考えながら自宅に戻る前日、親戚の叔父や叔母にお菓子をもって、日頃お世話になっている御礼の挨拶に行くと「大丈夫よ」と励まされた。後からもらったラインのメッセージ「親の心配ばかりせずに、○○ちゃん(わたしの名前)も旦那さんと幸せになってね」にウッとなった。叔母の言葉なのだけれど、きっと認知症の母も、心の奥では同じようなことを願ってくれているはずだと思ったから。

(R6/10/22記)

追記:この記事を書いてから約一週間が経ち、気持ちのしんどさも少し軽減してきた。まだもう少し、両親の今後を考える時間が与えられていることに感謝しながら、自分にできることを考えていこう。





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