#18お古着コーデ。(再掲)
私は、二人姉妹の姉として、50年近く生きてきました。姉だったので、子どもの頃、自分のお古を妹にゆずることはあっても、人からお古をもらうことはありませんでした。ゆずってくれる相手がいなかったわけです。
ところが、どういうわけか40代に入った頃から、お古が続々と私の手元に届くようになりました。オシャレ好きな妹は、気に入った服を大切に着るタイプです。
「これ以上は着れないと思うんだけど、捨てるに捨てられないのよ」
「それじゃあ、いただきましょうか?」
もったいないおばさんの私の口から出る、お決まりの言葉です。それからは、妹のお古が、時々段ボールで届くようになりました。どれもまだ十分に着られる代物です。
「母ちゃんには、オシャレすぎるんじゃない?」
「たしかに」(うなだれる私)
ミドリーの意見は、的確です。
実はミドリーも、オシャレが大好きです。メイクだけでなく、着るものにもこだわりがあります。一人暮らしをしていたミドリーに、私が親心で買って送った洋服たちは、ほとんどタンスの肥やしになっていました。自分のセンスに合わないものが多々あったようです。
「もったいないから、母ちゃんが着るよ」
ミドリーと同居しはじめてから、本来なら若者が着るような服を、私は有無を言わさずに引き取りました。
「母ちゃんには、若すぎるんじゃない?」
「たしかに」(うなだれる私)
ミドリーの意見は、いつも的確です。
寒くなってきたある晩のことです。
「テル坊が着てるのって、もしかして、前に兄ちゃんが着てたやつ?」
「そうなの」
息子のドラちゃんが、昨年一年間、勉強のため海外に留学していたのですが、その時に日本にある荷物の大半を処分するという大仕事がありました。私が以前、ドラちゃんに送ってあげていた、まだそれほど着ていないTシャツやトレーナーも、処分するつもりのようでした。
「じゃあ、母ちゃんがもらう」
私の決断に迷いはありませんでした。
「え、でも母ちゃんには大きすぎるのでは?」(ドラちゃん)
「大丈夫、テル坊に着せるから」
まさか再婚相手に、自分の子どものお古を着せているなどということが、義理のお母さんに知られたら大変なことになるかもしれませんが、細かいことにこだわらないテル坊は、
「ちゃんと洗濯して、キレイだから」
と私が言うと、
「そう」
とあっさり納得し、ドラちゃん使用済みの山吹色のトレーナーをパジャマ代わりに着てくれています。
巷では古着のオシャレも流行っているようで、高価な古着を並べたお店では、オシャレな若者たちが、あれかこれかと服を手に取り、お気に入りの一品を探している姿を目にします。
「あの人たちは古着コーデだけど、母ちゃんのはお古着コーデだね」(ミドリー)
「たしかに」(納得する私)
私のオシャレには、「お」が付いている、ただそれだけなのですが、見た目の印象は大きくちがいます。コーディネイトという言葉は、服やデザインの良い組み合わせを考えることを指すそうですが、私の場合、捨てるのがもったいなくて、引き取られてきたものの寄せ集めだからです。
先日、旅行で撮った写真を妹に送った時のこと。
「いい写真だねえ、姉ちゃん、赤い帽子かぶって、若々しいね」
と、妹から返信がきました。
「あれね、ミドリーのお下がり」(それに対する私の返信)
地味な服を着た私の頭の上にのっている真っ赤な帽子が、やけに印象に残ったようです。
今日はこれから、近くの図書館に出かけます。首に巻いているのは、ドラちゃんのセンスに合わず、使われなかった茶色のマフラーです。私の脳裏には、自分がお店でマフラーを選んでいた時の場面が浮かんできます。これを巻いて、寒い冬を暖めてほしいとねがい、選んだマフラーが、今、私の首元を暖かくつつんでくれています。また服の下で、私のお腹に巻かれているのは、ドラちゃんが昔、お腹が弱かった時にまとめ買いした、綿100%の腹巻です。10年以上経っていますが、伸び縮みもなく、ほどよいフィット感で、更年期の私の身体をサポートしてくれています。これは他人にした親切が、自分に戻ってくるという身近な一例なのかもしれません。
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これは、ちょうど去年の12月初めに投稿した記事です。わたしの冬服事情は一年後の今もほとんど変わっていないのが自分でもおかしくて(笑)。ただ腹巻は年中使える薄地の新しいものを夏に購入したので、ドラちゃんのお下がりは卒業しました。そして年末年始あたりに、また妹からお下がりを貰えそうな予感(笑)。これも楽しみの一つです。
再掲載を楽しもうと、星野廉さんが書かれていた記事を読んで、「そうだ、やってみよう」と小さな挑戦をしたのでした。