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太宰治初心者が斜陽館に片道3時間かけて行った話
青森に転勤して2年目になる。最寄りの映画館まで車で2時間かかるのは嫌だが、自然豊かなのは枯れた心の栄養素が満たされた感じがする。
そんな青森だが、私がずっと行きたいと思っていた場所がある。
それが斜陽館なのだ。
学生時代、根岸青年は本屋で黒字の表紙に銀色の文字で『人間失格』と書かれた本を見つけた。それが太宰治の本であることは流石に知っていたが、読んだことはなかった。
第一の手記で始まる「恥の多い生涯を送って来ました」は、日常生活でふとした時になぜか思い出してしまう。
作中に出てくる「道化」という言葉には、上っ面だけで社会を生きようとしている自分に突き刺さり、それは今も抜けずにいる。
そこから『女生徒』『ヴィヨンの妻』『斜陽』などの有名作品に触れ、今は『津軽』を読み進めている途中である。
どうせならもう少し作品を読んでから斜陽館に出向こうかと思っていた。
しかし、5月の梅雨前で暑すぎない時期に行っておこうと思い立ち、車を走らせた(2時間45分)。ながびよーん。
2時間の運転で堪えているのに、道中の30分連続カーブは心が折れそうだった。長男だから耐えられた。
砕けそうな腰の中、なんとか斜陽館に着いた。事故を起こさずここまで辿り着けてよかった。
時刻は10時半。無料駐車場に車を停め、車から降りると、目の前に旅館と間違えるような大きさの家がある。
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大人1人で600円。近くの建物で津軽三味線の生演奏が聴けるチケットも売っていたが、それは遠慮した。帰りを考えると疲れてしまいそうだ。
建物内の売店を含め、現金のみの支払いだそうなのでそこは気をつけなければならない(近くにローソンがあるのでお金はおろせる)。
ちなみに私が斜陽館に出向いた5月18日は、ちょうど『津軽』の作中で太宰治は、龍飛に行っている。
かなり幸運じゃないか。太宰治の感じていた5月の温度とは違うだろうが、同じ季節を感じているのは大変嬉しい。
斜陽館の中に入ると、空気がひんやりしていて気持ちが良かった。それに、本当に家か?と思うくらいに中が広い。さすが大地主の家だ。私の生家なんて、柱を蹴ったら家が総崩れしてしまいそうなのに。
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それにしても館内の迷路っぽさがすごい。丁寧に順路が書いてあるが、どれに従っていいのかわからなくなりそうになる。
近くにいたおばあちゃんは「えっ!そこから歩いていけるの!」とびっくりして私の後をついて来ていた。
とにかく広いのだ。この家でワイヤレスイヤホンを無くしたら確実に見つからないと思う。
日向ぼっこが気持ちよさそうな廊下から中庭を覗くと、うそやろ......と思うくらいにまた広い。
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1時間程度、床を軋ませながら歩き満足すると、入り口近くの売店に寄った。
太宰治にまつわる商品がいくつか置いてある。扇子やポストカード、ブックカバーなんかが売っている。
せっかくここまで来たのだからと思って、いくつか商品を買った。
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個人的には、ブックカバーが嬉しい。オンラインでは買えない(転売されてなければ)商品に出会うと、やはり心が躍ってしまう。
ノートは何に使おうか。日記を書こうにも三日坊主で辞めてしまう。どうせなら飾りでもいいから持っておこう。記念ってことで。
会計を済ませ斜陽館から出ると、ちょっとした夏日のような暑さになっていた。死ぬなら今日でいいなぁなんて思いながら、歩いてすぐ近くの「太宰治疎開の家」に向かう。
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個人的に嬉しさの最大瞬間風速は、斜陽館より高かった。
これから、あの部屋で書いていたんだよな〜と思いながら小説のページを捲る贅沢感というか、優越感というか。そういう気持ちは宝だと思う。
ひとしきりに部屋の中を見ると、時刻は12時過ぎだった。お腹が減る。
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うーん、どうしようか。寿司が気になる。カレーは気分ではない。
そういえば、前日に調べていた観光案内では、赤い屋根の喫茶店を推していた。
なんでも駅舎を再利用した喫茶店らしい。
よし、そこにしよう。
歩いていくのはきつそうなので、車を4分走らせる。
ぱっと見どこにあるのか分かりづらかったが、さすが駅舎、風情がある。
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レトロで可愛い佇まい。こういうのがいい。
ドアを開けると、あまり奥行きのなく、横に長い店内だった(駅舎だから当たり前か)
内装はテーブルが6つほど。おひとり様用にカウンターもあった。壁に芸能人のサインが並んでいた(エドはるみもいた)。
店内には私以外に2組と1人いた。斜め向かいのカップルなのかもわからない男女が会話をしている。大学生かと思っていたら女性が「私ガラケー世代なんですよ」と言っている。嘘だろ、とちらっと顔を見るがそうは見えない。
男性は休日に経営シュミレーションゲームをプレイしているらしい。女性はそれを「わかんない!」で一刀。お見事な太刀捌き。
いけないいけない。早く注文しよう。
どうやらここいらでは、馬肉が有名なようだ。せっかくなので頼んでみよう。そういえば人生で馬肉を食べたことない。
狭い室内なので、会話がよく聞こえる。ぼーっと室内を眺めていると、私が注文したものが運ばれてきた。
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これが馬か。どの部位かわからないので、勝手にお尻あたりの肉を想像してしまう。
脳内で大きな雲が浮かぶ草原に、一頭の馬が駆ける。
ありがとう。お馬さん。いただきます。
豚肉のような食感。少し臭みのでる後味。ジンギスカンほどではないが、苦手な人からしたら受け付けないものかもしれない。
でも、うまい。アツい米の上にアツい肉、そそるぞ。
1人の食事は汗をかこうが知ったことない。好きなペースで食べ、汗を拭き、また食べる。まさしく孤高の行為。
ものの数分で完食し、水を流し込む。一息ついてから会計を済ませ、店を出た。
どうやら切符も買えるようだったが、そこにはあまり興味がなかったので買わなかった。
お腹も満たされ、満足して車に戻る。
時刻は13時過ぎ。家に着く頃には16時を過ぎそうだ。
この時期に行けて良かったと思う。のんびりとした空気と時間が流れている。
帰りの30分カーブは、なぜか短く感じた。
家に帰ったら『津軽』の続きを読もう。
ぜひ、青森旅行をするなら斜陽館に。