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【楽しい楽しいホームレス生活】家無し大学生が、人の縁だけで生きながらえた話
4年前の冬、東京芸大美術学部3年生。20歳の私は最後の家出をした。どうしても実家を出たかった。
一人暮らしをしている学生なんて沢山いるし、部屋くらい借りれるだろうと思っていたけど、全然そんなことなかった。家出だと疑われてちゃんと探してもらえず、私には保証人になってくれる人もいなくて、お金もたくさんはなかった(収入のことはあとで書きます)。
でも、そんな私が家出を決行したのは、あるツテがあったから。これが一つ目の縁。
先輩の友人の祖母の家(空き家)でシェアハウス、のはずが…
実家を出たいと思っていたけど、実際のところもうほとんど実家は家ではなかった。実家で眠る回数はどんどん減っていき、帰るときは作品を作るために道具を取りに行ったりお洋服を取りに行くだけだった。
実家は練馬区にあって、東京で遊ぶにはちょっと西側だなぁって感じだけど、渋谷も新宿も六本木も電車1本で行けたから、時々荷物を取りに行くのもそこまで苦じゃなかった。だけど、肝心の、大学がある上野や北千住、取手にはほんとうに行きづらい。
そんな時、お世話になっていた建築学科の先輩に、「シェアハウスしてみたら?したいやつ、俺知ってるよ」と言われた。
その頃、よくこの先輩にお金や実家暮らしの相談をしていた。先輩はシェアハウスに住んでいて、人と暮らすことの楽しさと難しさをいつもいきいきと話してくれた気がする。
その先輩にはほんとうにお世話になって、後ろ向きで考えすぎる私にもいつもカラッとした笑顔を向けてくれていた。この人が紹介してくれる人なら安心だな、と私は思っていた。
紹介されたのは、まさかの杉並区の一軒家。その発起人は…
実際にシェアハウスをしたいと思っている家で、先輩と発起人と3人で一度話してみたいと提案され、杉並区のその家にお邪魔した。
先輩は何度か遊びに来たことがあるようで、着くなり料理を始めた。発起人は自分を『ジム』と名乗った。背が高く、穏やかな口調で、とても人当たりのいい人だった。少しずつ、シェアハウスをしようと思った経緯を教えてくれた。
半年前まで親戚が一人で住んでいたが、その方がホームに入ることになり、空き家になった
近くにジムの実家があり、一人で作業したいときに時々来て利用している
人が住まなくなると、主に内装部の劣化が早まることを防ぎたい
「だから、この家をシェアハウスみたいにできないかって思ってるんだ。俺も管理人みたいなことができるし」と言って笑っていた。
部屋は4部屋くらいあって、物も家具もまだ沢山残っていた。わたしはこの部屋がいいな〜なんて思いながらお部屋を見せてもらった。
でも、ジムにも1つ乗り越えなきゃ行けない壁があって、それは"両親の許可"を得ることだった。親戚の名義の空き家に息子が出入りする分には構わなかったけど、その知人や友人が入り浸る(というか住む)ことにはもちろん抵抗があったことだろう。
ジムがすごく交渉してくれて、結局私は週に3日だけ寝泊まりをすることを了承してもらい、『めちゃめちゃ頻繁に遊びに来て泊まっていく友達』として受け入れてもらった。
週に3日杉並区に帰る、歪な生活
この生活をしていく上で、2つのルールが設けられた。
泊まる日は事前にジムに連絡すること
家に帰るときは、いつもジムが迎えに来ること
ジムは何時でも迎えに行くよと言ってくれて、ほんとうに何時でも、朝でも昼でも夜でも、迎えに来てくれた。
ジムはフリーでエンジニアをしていて、不規則なリズムで生活していた。「寝てても電話くれたら起きると思う」と言い、ほんとうに電話をしたら起きて迎えに来てくれた。そんな時でもジムは、散歩っていつしても気持ちいいよねと言ってくれて、私に罪悪感を抱かせないようにしてくれるのが痛いほど伝わった。
デザインのバイトが夕方に終わった後、ジムに駅につく時間を連絡する。駅からの帰り道、スーパーに寄って食材を買ったりしながら、お互いの話をする。週3日ではあるけれど、共同生活をする上で、お互いの話をしながら帰る時間はなくてはならないものになっていった。
最近の悩みや今日あったこと、仕事のこと、人間関係のこと。15分ほどの帰り道、週に3日話しても全然話し足りなかった。つまるところ、ジムとわたしはとても気が合った。
ふたりの生活・ふたりの特性
ジムは不規則なリズムで生活をし、私は不規則な場所で生活をしていた。生活に関するこだわりはお互いにほとんどなかった。
ジムもわたしも、いろんなことがテキトーであることが嫌いじゃなかった。無くしものも、時間を守れないときがあることも、片付けへのこだわりも、全部そこそこでよかった。
ふたりとも料理が好きで、お酒が好きで、音楽が好き。
いいことがあると、駅からの帰り道のスーパーでお酒と食材を買って、パーティーみたいな品数を作って、安いワインを買ってほとんど朝まで語り明かした。私が持ち込んだスピーカーでお互いのオススメの音楽をかけあったり、意外と業界が近い仕事とバイトをしていたのもあって、その相談事をしたりした。
その頃のわたしは心療内科で診断が下ったりしてて、ジムも持病があって、嘆きあったり話し合ったり励まし合ったり冗談を言って笑ったりした。ADHDの診断が下ってすぐ、ショックでずっと泣いていた私のことを見守ってくれた。
自主的にふたりで取り決めたルール
ジムに迎えに来てもらったり事前に連絡するのは、私が通い詰めることを了承してくれた彼のご両親のためでもあった。
特にルールはないままスタートしたこの生活で、ひとつだけ、ふたりのためのルールをつくった。
ごめんって言ったら100円貯金
どちらも謝りグセがあったから、『違ったらごめん』とか、ありがとうでいいところを『ごめん』と言ってしまうし、なにかとそのことを指摘しあっていた。
目的もなく始まった罰ゲーム貯金はあっという間に1万円になり、それくらい貯まるとふたりでちょっと良いお酒を買って料理をして夜な夜なパーティーをしたり、ちょっといいお店に行ったりした。けど、目的は"ごめんの無駄打ちをしない"ことだったので、だんだんと貯まる額は減っていった。これはいいことなんだけど、それがなんだか寂しかったのを覚えている。
そんなふうに順調に、ほんとうに1度も喧嘩なんてしないまま、ジムと週の3日を過ごした。
仕事について、そして荻窪に帰らない週4日
家にほとんど帰らないと、お金がかかる。外食、交際費、泊めてくれた友達へのお礼を買ったり、朝までやってるお店で使うお金。実際私はお金に困っていた。
大学3年生の9月。『芸大生だし行けるっしょ』と思い立ち、働き詰めた蕎麦屋と寿司屋のバイトをやめて、ベンチャー企業のwebのデザインのバイトに応募した。adobeソフトのスキルが活かせるし、肉体労働じゃないから体力も削られない。そして、少しは時給が上がるだろうと思った。だけど、時給は全然飲食店と変わらず、それには流石に落ち込んだ。だけど、面接してくれた社長は悪い人じゃなさそうだった。だからここで働くことにした。
ベンチャー企業でデザインのバイトを始めたこと。これが2つ目の縁。
9月にjoin!し働いていたアルバイト。仕事内容は意外にも楽しかった
イケイケベンチャー企業だったので、社員やアルバイトが新しく入ることをjoinと呼んだ。わたしは正直、そういうノリはわからなかった。だけど、これが社会なのか〜などと適当に流した。
大学3年生になって就活もせずに家出をしてるなんてバカバカしく思えるかもしれないけど、私は大学院に進学する予定だったのでその点は気楽だった。というか私の周りには、就活をしている人は一人もいなかった。
バイトは本当に楽しくて、社長から直でたくさん仕事をもらった。部署のマネージャーは困っていたけど、わたしは期待をされ、それに応えようとする時間が嫌いじゃなかった。バイトだったのにお客さんのところに連れて行ってくれたし、バイトだったのに提案をさせてくれたし、バイトのわたしに経営や事業の思想を教えてくれた。
全く見たことのない景色だった。大きなお金が動いているのを見た。請求書を自分で作ったこともあった。自分の単価を知り、自分の給与を見る。会社の経営にどんなお金がかかるのかを想像することができたし、実際に聞くこともできた。
忙しすぎる営業マンの社長のために、移動はすべてタクシーだった。これは余談だけど、この頃のせいでタクシーに乗ることに抵抗感がなくなって、今でも気軽に乗ってしまうフシがある。
joinから3ヶ月、事件が起きる
私には一つ、大きな問題があった。それは健康保険のことだった。父親がまだ定年する前だったから、父親の扶養に入って父親の会社の保険証をもらっていた。
だけど、人が一人生活するお金を稼ぐとなると、余裕で扶養から外れてしまう。
でもすぐに影響のある話じゃなかったから、あまり考えないようにしていた。
来年には保険のことを考えないとなぁと思っていた冬、忘年会。社長が私を近くに呼んでこう言った。
「来年の4月から正社員にならない?」
お酒の席でもあったし、冗談かな?とも思った。でも社長は、「大学もあると思うから勤務は正社員の60%でいい、保険も入れてあげる。時給制から月給制になるから祝日が多くてもお給料は一律。その代わり年金は払わなきゃいけなくなるし、かなり忙しくなる。どう?」とかなり具体的だった。そしてお給料もバイトよりも高かった。
数日考えて、その話を受けることに決めた。このとき私は、業務経験があるともう二度と新卒採用に応募できないことを知らなかった。そして、私には働く才能があるのかも、という勘違いをしていた。
晴れて正社員になった春
1つ歳上の先輩がそのまま入社した4月、わたしも新入社員として歓迎ランチに連れていってもらった。先輩はすごく優しくて、べつに嫌な顔もしてなかったと思う。
でも、たまに往訪の打ち合わせの帰りに社長とご飯に行ったりする様子を知っていた社員の人からは『社長の愛人』と呼ばれていたのを知っている。
それから、『学生会社員という珍しい肩書を手放したくないから大学院に進学するんだろ』とも言われたことがある。
私にフィードバックを返されるとやる気がなくなると言われたこともあった。
だけど、私は仕事の内容が好きだったし、なにより社長の言う「肩書が変わっただけで仕事は変わらない。君にとって変化があるのはお客さんからの肩書への信頼感だけ」という言葉に背中を押され、楽しく仕事を続けることができた。
木曜日には大学へ行き、大学のあと出勤することもあった。それくらいのめり込んでいた。
週3日の会社暮らし
それだけのめり込むと、会社に寝泊まりすることが増えた。イケイケベンチャーらしく、勤務時間はフレックス(勤務時間が決まっておらず、1ヶ月で所定の勤務時間以上働くことを定めた勤務形態)だった。私は1月100時間くらいだったと思う。
朝起きて仕事をして、仕事が終わったら打刻をしてデスクで自分の映像作品を編集する。オフィスにはキッチンがあって、仕事終わりのエンジニアがプロテイン飯を作っていて一緒に食べたりして、楽しく過ごした。眠たくなったらそのまま席で寝て、朝また仕事を始める。オフィスはに無いのはベッドとお風呂だけだった。
お風呂はネットカフェや銭湯でなんとかなった。ベッドは無かったけど、私には睡眠障害があったので、薬を口の中に放り込めばいつでもどこでも眠ることができた。
先輩のエンジニアもオフィスの隣のユースホステルにホテル暮らしをしていたし、暮らし方に寛容な会社だった。
そうして私は、行く宛のない夜はオフィスで過ごすようになった。
スペシャルサンクス
他にも縁があり、お世話になった人たちとの話をここに書いていきます。
取手(大学のキャンパスのあるところ)にある飲食店の皆様
大学のカリキュラムで取手にいくとき、帰りはだいたい遅くなってしまう。ヘトヘトなのに家に帰りたくない。そんな時、いつも通っていたお店で閉店後、眠らせてもらったことが何度がありました。
私が学生ながら会社員になった自慢話も聞いてくれたし、初めて作った名刺ももらってくれた。本当にありがとうございます。お世話になりました。
オフィスの近くにあったある喫茶店(夜はバー)のマスター
これは泊めてくれた話とは違うけど、いつも仕事で疲れた日に行って話を聞いてくれてありがとうございました。
お店で開催されるライブに出演させてくれていただいたこともありました。ライブでギターを弾いて歌ったのは人生でこのお店だけです。
このお店ではじめてウィスキーを飲んで、それがラフロイグの10年でした。今でも大好きな銘柄です!
オフィスの近くにあったショットバーのお兄さん
閉店後、スタッフの方が締め作業を終えたあと、いつもお店の外でビールを飲んでいるお兄さんがいて、そのお兄さんと夜明けまで外でお酒を飲んだりしました。
オフィスに泊まらなければそんな夜があることも知らなかったし、あの生活を続けられたのはお兄さんが私の生活のことを笑ってくれたからでした。
友人や、突発的に泊めてくれた皆様
こんなふうに暮らしていても、どうしても泊まる場所が無いとき、泊めてくれたすべての皆様に。ほんとうにありがとうございました。お世話になりました。
最後に
たくさんの優しさに助けられ、帰るべき家がない状態を面白がってくれた人がいたからこそ、この時期を乗り越えることができました。ほんとうに感謝しています。
わたしの居場所ではない場所に泊まること、それはある意味ルールの余白に存在することでした。夜、家に帰って眠り、朝を待つ。そんな日ばかりじゃなくてもいいじゃないか。朝まで人と話しても夜は明けるし、朝まで寝てても夜は明ける。どこで、どんなことをして、誰といてもいいに決まってる。
体にも心にも応えたこの半年間は、私にとって単純にキラキラしたものではありませんでした。ただ家に帰ることを避けるためにやってたという消極的な理由で始めた生活が、だんだん楽しくなっていった側面もありました。この時期は、それまでの人生で一番濃密な時間でした。
ちかい未来、ハイエースを買ってシングルベッドをぶち込んで、それを家と呼びたいな〜と妄想してます。定住しない、固定されない、それだけでこんなに素敵な出会いがあるのなら、それはそれでいいんじゃないかな。
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