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「センス・オブ・ワンダー」を読んで
最近のわたしは、心から幸せだと感じられない日々が続いていました。
仕事は、内容や量を配慮してもらってやっとのことで働かせてもらっていました。自分の会社での存在価値なんてありませんでした。
育児に関しては、2歳になる息子と全く向き合えていませんでした。朝起きたらすぐに保育園に連れて行き、17時と早めにお迎えに行けても、慌ただしくご飯とお風呂と寝かしつけを作業のようにこなしていく毎日。この頃はイヤイヤ期が本当に酷くて、息子を可愛いと思えない日が続いていました。
「この子は、せっかく私の元に来てくれたのに、毎日作業のように過ぎていって、私もこの子も一体何のために生きているんだろう。」
そんな風に考えていたときに、この本に出会いました。
センス・オブ・ワンダー 「自然の神秘さや不思議さに目をみはる感性」
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活の中で苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
この本をおすすめしてくれた人は、「”小さなことに感動できる感性”が大事なんだって気づけるよ」と教えてくれました。
最近のわたしは、とにかく無駄な不安を抱えていました。30代にさしかかり、徐々に衰えていく体力や気力に恐怖していたし、結婚や出産、住宅も建て終えて、自分の残りの人生、子供以外にもう楽しいイベントなんかないような気がしていました。元から持っていないものやこれから失うもののことばかり考えて、今ある幸せにはちっとも目を向けられていませんでした。
センス・オブ・ワンダーの説明を、以下に引用します。
化学薬品による環境汚染にいち早く警鐘を鳴らした書として、いまも多くの人々に読み継がれている名著がある。『沈黙の春』だ。その著者レイチェル・カーソンの遺作として、彼女の友人たちによって出版されたのが本書である。
本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。
そして、レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。そのために必要なことは、「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことだという。本文中に挿入されているメーン州の海辺、森、植物などをとらえた写真も美しい。『沈黙の春』と同様、読者の魂を揺さぶらずにはおかない1冊である。
この本を読んでいると、不安な未来とは逆の希望に満ちていた昔の記憶がよみがえってきました。幼い頃に間違えて食べてしまった泥団子の食感や、母が料理をしているときの玉ねぎに火が通った美味しそうな香り、寝る前に聞いていたカエルやコオロギの声、学校に登校するときの冬の冷たさなどの記憶が蘇ってきました。
この本にあったように、味覚、嗅覚、聴覚が記憶を呼び覚ます力は凄まじいです。
そして、「私も息子に同じ体験をさせてやれているだろうか」とボーッとYoutubeをみている息子をみて、怖くなりました。
日々効率重視で生き過ぎて、大切なものを見失っていると気づいたのです。
とりあえず、家の前を散歩しよう
とりあえず息子と一緒に家の近くに生えている雑草を眺めることにしました。
息子は、枯れている猫じゃらしを持って「こちょこちょこちょ〜!」と私をくすぐってきました。そしてそれをバラバラにして大笑いしていました。それを見て私は、「特別なおもちゃがなくてもこんなに楽しく遊べるのか」と感心しました。
こどもは、こういった本当のこころの豊かさを教えてくれるんですね。なんでもイヤイヤだった息子が楽しそうにしているのをみて「こんなことでいいのか」とホッとしました。
畑を借りた
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
ご近所さんにお願いして、家の近くに畑を借りました。お金を出せば何でも手に入るこの時代、わざわざじゃがいもとにんじんを自分で育ててみることにしました。最初は、息子に普段食べている野菜がどんな風に生えているのか、知識としてみせたいだけでしたが、それ以上の収穫がありました。
家族みんなで土を耕した日は、達成感に包まれ、程よい疲労感でぐっすり眠ることができました。
他の種類の野菜も育ててみたくなり、色々調べてみると、育てる野菜に相性があること、連作障害(同じ畑で同じ作物を育てていると、育ちにくくなったり病気になりやすかったりする)、野菜も植えどきがあることを知りました。野菜にも人間のように多様性があるんですね。自然って面白いです。
土に肥料をまいて、水をあげて、雑草や虫を管理していればすくすく育つものかと思っていたけど、全然そうではありませんでした。スーパーで並ぶ野菜をみたら、このスーパーに並ぶまでの出来事を想像して、農家の方々の努力に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
身近なことなのに、知ったような気になっただけで、世界には全然知らないことがたくさんあるんだなとワクワクした気持ちになりました。
最近カブの芽がでてきましたが、本当に可愛らしいです。種から育てるととても愛着が沸きますね。
息子も「おおきくなったらぱえちゃうぞ~」とご近所さんと楽しそうに水やりしてくれてます。
収穫体験に行った
とはいえ野菜はすぐには育たないので、収穫体験に行きました。
その農場は元々崖だったところを埋め立てて、河川敷の草を土に混ぜて時間をかけて農場にし、できるだけ農薬を少なくして野菜を育てていると農家の方が教えてくれました。
その農園は綺麗に野菜が並んでいるというよりは、ある程度自由に野菜が生えていて、色んな植物達が調和しているような農園でした。雑草もたくさん生えているし、収穫しきれなかった野菜が花を咲かせて、近くに種をおとして芽を出したりしています。
農家の人に環境を整えてもらって、自由に好きなようにのびのびと育っている野菜達をみて、子育てへのヒントをもらえた気がしました。
これからの子育て
仕事を辞めてしばらく自然と向き合ったことで、生きていることは素晴らしいし、子育てはなんて尊い時間なんだろうと心から思えるようになりました。
心に余裕もできて、テレビも一切辞めて、夫と交代で息子とたくさん外で遊んだら、あんなに酷かったイヤイヤ期もすっかり収まりました。
自然に触れるということは、本当にストレス解消になるのですね。
こどもが3才にさしかかると、習い事など悩み始める頃かとおもいます。でも、うちはとにかく息子とたくさん散歩して会話して、早寝早起き朝ごはん、習い事はさせても一つだけにすると決めました。
何か特技は身に付けさせてあげたいとはおもうけど、勉強やスポーツが人よりできることより、人が嬉しいときには一緒に喜び、悲しいときには一緒に悲しめる。そして、小さなことにも喜びを感じられる、そんな人になってほしいとおもいます。
これから息子がどんな道に進んでも、自分は空か土にでもなった気持ちで、隣で静かに見守りたいです。
普段の何気ない生活に感動できる力こそ、この情報が溢れている世界で幸せに生きていくために一番必要なスキルなのかもしれません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。