ラジオ体操、ガツンとみかん、日常を愛する力のこと
昨日は「暑いね」が合言葉かのように繰り返されていた。
だって暑いんだもん。
まるで直江兼続の兜のようだ。「愛」という字を掲げて過ごすように、「暑」を額に貼り付けていたみたい。
冷房がきいた室内で、好き勝手に過ごす兄弟。
なにか身体を動かす方法はと浮かんだラジオ体操を、朝に行うことにしてみた。
これがなんとも心地よい。負荷なく身体が伸びる。
身体を動かすことで駆けめぐる酸素。もう終わりと思える時間配分。なにより、馴染みのあるラジオ体操に夏のイメージを重ねる。
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夏の間にたくさん本を読もうと、本屋で本を選んで帰宅。読みたい本が積み上がってきている階段の一角だけど、手に取るのは再読本ばかり。
馴染みのある毛布みたいに、言葉に包み込まれていたい気持ちなのだ。
めずらしく夫不在。(出社日だった)
出かけると予告していた時間になっても、うろうろしているので「名残惜しいでしょうが、いってらっしゃい」と声をかけると、しょんぼりしていたので玄関までお見送りしたんだった。しょんぼり顔が可笑しくて、思いだしてまた笑う。
ダイニングテーブルの席の配置を変えて夕食、向かい合わせで焼きそばを食べる。
好きな漫画について、どこが面白いと思っているのかを語る顔を見つめていると楽しくいるって大切だよなって思う。
子どもも動物も自然も純粋だ、ありのままを許してくれるって思いがちだけどちょっと違う。
子どもも動物も自然も自由だし、甘えてしまうけどそこに全てをゆだねててはいけない。
疲れたとき、戻る場所を自分の中にもつこと。
良い悪いではなく、その場を感じること。
好きな人が笑う横顔、あごの先の匂い。
解説付きでみるジョジョの奇妙な冒険。
解けない問題を教える兄と「分かった」と続きを書く弟のやりとり。
スタンプ使いの母とのライン。
犬の肉球のお日さまの香り。
ぱりっと乾く夏の洗濯物たち。
惹かれあうもののなかにムードがあって、それは色付きで漂って見えることがあるのだけど。
もしかしたら、そのムードを幸せっていうのかもしれない。
なんか似ているねって思うそんななにかを。
日常に幸せはあふれている。あふれすぎていて、気づかないかもしれないけど、在るの。
自分を幸せにすることがなんなのか、知っている人は強い。
感じ取れる人は強い。
「ねえ、お風呂上がりにアイス食べていい?みかん味は残り一本だからお母さん食べていいよ」
兄の声が響く。
そんななんでもない日の連続で夏を、そして次の季節も過ごしていくのだ。
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