自分のセクシャルマイノリティについて
過去の交際歴として、比率として数値を上げるなら「5:5」。
男性が5割、女性が5割という比率。
大まかに答えてしまえば所謂「LGBT」の「B(バイ・セクシャル)」。
中学の頃、友人の1人に殊更「格好いい」同性がいた。 思い返せば当時の感情は「恋愛」ではなく、「憧憬」だったのだと思う。
独特というか、端的に言えば周囲とは違った雰囲気が様になっている様な中性的な子。
特別親しかったわけではなかった関係の変化の切欠は、快いものではない。
彼女にとっての親友が、他の友人達の「グループ」で仲良くなり、輪を広げた頃、彼女は孤立していた。
そんな彼女にとって、ふらりふらりと自由に動き特定の場所に立っていなかった自分は、好都合だったのだろう。
共通していたのは、音楽の趣味が一致していたことと、自分のものだと思っていた何かを、横取りされたと認識して、嫉妬する人間だったということ。
急激に縮まった距離は、「恋人関係」となって変化をもたらした。
結果としてしまえば、不仲疎遠のまま今に至っている。
数年前、偶然見つけたSNSでの彼女は、風俗嬢として働いていた。目が点になった。
職業への嫌悪は一切無いものの、私の知る彼女からかけ離れていた事実に狼狽えたのだ。
10代後半と20代間もなくの頃の交際相手は殆どが同性。
男性を好きになり、交際まで発展した経験もあったが、何故か長く続かない。事細かにいえば、成就すると熱が覚めるような人間だったものの、性的な目線で見ることは一切できなかった。
血の繋がった父はドメスティック・バイオレンスで母によく手を上げていたし、彼の投げ飛ばしていた物が当たって出来た傷もある。
男性を「恋人」として見るには、嫌悪感があった。
私はバイ・セクシャルなのか、レズビアンなのかが不明だったのだ。
しかしここ数年、LGBTへの理解や関心が深まり、カテゴライズを更に詳細化した言葉が世間に飛び交うようになった事実を知り、改めて自身がどのセクシャルマイノリティなのかを考えるにあたった。
自分を見つめ直してみると、
恋愛に関しては男性、女性双方を対象者として見ることができるものの、性的な関係を想像すると、どちらも興味が無い。
そのような関係を求められても、頷くことは出来ない。
そう考えると、「ノンセクシャル」が最も近しい言葉なのかもしれない。
ノンセクシャルといっても内訳は人それぞれで、
性的な行為に関心がなくとも、出産願望はある、というパターンもある。LGBTやLGBTQという略式ではまだまだ計り知れない。
私の場合は上記そのもので、性的な行為への欲求は湧かないが出産願望は強いという立場である。同性異性問わず、恋愛感情は抱く。
勘違いされやすいのは、「同性を好きになるということは友人である同性をそのような目線で見ている」と思われがちなことである。
そのようなことは断じてない。無いからこそ、カミングアウトをした後も親しく良い交友関係を保っている同性は勿論多数いる。真正面から言えば誰でもいい訳では無い。
LGBTの知識や情報が徐々に広がっていく中、間違った認識によって距離を持たれる事がどれほど心地の複雑たる事か。