私にとってのヒーローとは
「ヒロイン」ではなく「ヒーロー」であると断言出来るのは、母である。
畑とハウス、スーパーまでは車で時間をかけて赴くのが日常である田舎で育った事もあるのか、近所に住む農家のおばさんから、知らない人にまで声をかけて挨拶をして話しかけていたため、母はいつか誘拐されるのではないかといつも冷や冷やしていたという。
中学校に上がってから、校内の風紀が悪く、特定のグループからいじめを受けるようになって、中学二年後半から3年の終わりまでを保健室で過ごした。授業は出てた気がするが、その頃から人付き合いが苦手になって、三者面談では「もっと交友を広めるようにした方がいい」と母は言われたらしい。その担任は気さくで、今でもたまに連絡を取るほどではあるので、いい先生ではあった。
高校が市内でもそれなりに有名な進学校だったこともあったので、せめて内申だけはと思って生徒会やら塾やらに通った。夜の7時から夜中の4時まで毎日勉強をして、一般入試で通過して入学した高校を、3年になる春に自主退学した。母が学校に赴いた2回目である。学年主任を始め、5人に囲まれた母が、1人で私の退学について話し合ってきた。
迷惑ばかりかけた学生時代だったし、諸々の過ちで、大人になっても尚迷惑をかけてしまったわけでもあるのだが。
進学校に行けば、風紀もそれなりに整うだろうと思っていたけれど、そうでもなく、荒れに荒れたクラスで授業を受けるなら、退学をしていち早く社会人になって、社会のマナーを学ぶ方が得だと思った。
高卒認定資格を取得して、18歳になる夏に社会人になった。
アルバイトで働いて、他の空いてる時間は生活リズムを整えるために家事をしたり過ごして、今の会社に入社したのが19歳の春。
接客は、好きではない。
周囲には接客が向いているとよく言われるけれど、それはあくまでも仕事だからであって。そんなもんじゃないだろうか。誰だって好きなことを仕事にしたいと1度くらいは憧れるだろうし、なおかつ好きなことを好きなまま仕事としてやっていくというのも、なかなか大変だと思う。
接客が、好きではない。
何を言っているかわからないクレーマーに罵られ、セクハラ気味の上司の機嫌を伺い、人見知りを悟られないように、時間をかけて上手く上手く、今の立ち位置を掴んだ。
勤務年数が長くなり、担当を兼務しながら、上手く上手く、そう、上手く、取り繕いながら、社会の輪に馴染もうとしてきた。
おかげで今は頼られることも多いし、上司の作業を手伝う事もよくある。
教育を任されて、後輩の指導をする立場にもなった。
諦めぐせをつけるな、と育てられてきた。
1度入った会社は、理不尽なことがない限り簡単には諦めるな、と。自分が間違っていないのならば、立ち向かいなさい、と。
気づいたら接客で仕事をして九年が経とうとしていることに驚いた。
先日、学生時代の私を知る旧友達と再会する機会があり、「随分話しやすくなった」と言われた。自分でもそう思う。
母は、強かで、繊細な人間だった。
よくも悪くも真面目だからこそ、冷たい空気に充てられる事も多い。
理不尽な境遇を随分と経験してきていることも知っている。
小学4年の頃離婚をして、シングルマザーになった母は、娘である私が、人見知りな私が寂しくないように、「父になり、姉妹になり、友人であり、そして母でいる」と心に決めながら私を育ててきたのだ、と、成人をして初めて2人で酒を交わした時に話していた。
私の記憶には、今もなお、体の弱い母がある。
ただ、心は強くあろうと、諦めずに立ち向かう芯の強さも、私の記憶から変わることは無い。
矛になり、盾になって生きてきた母こそが、正真正銘私のヒーローなのだ。