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荒唐無稽だが、アメリカの夢でもある:P.ロス「素晴らしいアメリカ野球」(中野好夫・常盤新平 訳)


 大学時代以来の再読で、今回は「村上柴田翻訳堂」シリーズ(村上春樹と柴田元幸がセレクトした海外文学を、新訳・復刊する新潮文庫のシリーズ)の文庫で読んだ。注釈(パロディや言葉遊びが多いこの作品を読むに当たって、この注釈に大いに助けられた)、井上ひさしによる解説、村上・柴田両氏による対談も収録されている。


 結論から書いてしまうが、あまりの荒唐無稽かつスケール壮大さに、立ち尽くしてしまうような感覚になった。学生時代より少しは海外文学への見識も増したはずだが、前回とほぼ同じ感想である。だがその壮大さこそ、この作品が読者を惹きつける部分である。巻末の村上・柴田の対談の言葉を借りるなら「法螺話」だが、「素晴らしい」法螺話である。


 この小説の原題は「The Great American Novel」、つまり「偉大なアメリカ小説」であり、「野球」は含まれていない。この「偉大な…小説」という言葉は、こちらも村上・柴田巻末対談によると、アメリカ文学界に確固たる観念として、アメリカ文学界に存在している言葉だという。ゼロから作りあげた合衆国なのだから、文学においてもグレートな作品があってしかるべき、という発想のようだ。

 そのテーマを、国技たる野球で明らかにしようというのも、この小説のなかなかユニークなところである。アメリカ人にとって野球は「一スポーツ」ではなく、「国技」であるというのを実感させられる。



 信頼できない語り手という文学用語があるが、この作品はワード・スミスなる「信頼できない語り手」自身が登場し、アメリカの歴史の闇に葬られた「愛国リーグ」なるリーグの歴史が滔々と語られていく。注釈に拠ればワード・スミスとは<一語にすればwordsmith=文章家>。名前からして人を食ったような姓名なのである。


 殺人的な剛速球を持ちながら追放処分になり、そのまま失踪したギル・ガメッシュにはじまり、軍に本拠地球場を接収され、長い放浪を余儀なくされたルパート=マンディーズ球団、異名や二つ名に憧れるあまり「ニックネーム」という愛称を賜ったニックネーム・ダマーや、才能がありながら「両親の意向」でマンディーズに入れられたローランド・アグニなど、一癖も二癖もある人物やチームが「愛国リーグ」に顔を揃える。

 野球を通じて奇々怪々な出来事が繰り広げてられたのち、思わぬ形で「アメリカの敵」によって破滅されらる愛国リーグの栄枯盛衰の壮大さに、圧倒的なインパクトを覚えた。

 野球好きならだれもが、自分が選手だったら、監督だったら、オーナーだったらと妄想したことがあるはずだ。だがリーグ単位、さらには野球を通じた一国の歴史にまで発展させられない。「歴史の闇に葬られた野球リーグ」など、あまりに荒唐無稽がすぎるが、一方で野球ファンはこのダイナミズムを真っ向からは否定できない、むしろどこかで憧れに近い感情を抱いてしまうのではないだろうか。



 この作品のフォロワーと思しき野球小説は多く存在する。それもR.クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会』、赤瀬川隼『球は点々宇宙間』、小林信彦『素晴らしい日本野球』、高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』など、名作ぞろいである。

 野球はサッカーのような「連続性」とは無縁だが、小休止が多いせいなのか、数字と言葉で表せるものが多く存在する。その数字と言葉の多さこそ、名作野球文学を生んできたのかもしれない。

 W.P.キンセラ『フィールド・オブ・ドリームス』のような心温まるストーリーを、タイトルから期待してしまった読者は腰をぬかすかもしれないが、トウモロコシ畑の球場とは違う種類の夢がこの作品にも存在している。


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