だから無駄な時間が大切なんだ!と声を大にして言いたい(笑)
昨日の続きでもやもやとここ数日を振り返る…。
やっぱりスッキリしてない模様の私です。(笑)
課題の分離も意図性から抜け出すという事も他者がいるからこその問題で、けっこう私、一匹狼的に生きている感じだけれど、誰かがいるんだなぁ~と思うとそれはそれでありがたい話でもあるな⤴と少し上げてみたりもしています。(笑)
どちらにせよ、結局はその時の私が選んで、良くも悪くも流されていくのだから、どうせなら自分の楽(ベスト・やりたい事やありたい方向性)で選べばいい事なのだけれど…
それはそれでまた一匹狼的になる方向を選んでいるようで、そう思うと自分あかんヤツだ…とも思う訳なのです。
そんな事を思っていたら偶然、耳に入った言葉がありました。
それは…
アドラー心理学の言葉のようなのですが、
「共同体感覚」という言葉です。
ふむふむ…と思うけれど、よくはわかってないので説明は割愛…。
それは、あなたの問題よね…って切り離す事も
私の問題でしたーと気づいてもらう事も
「(○○やった方がいいと思うけれど)いいんだよ、自由にやれば!」と言い捨てられる事も
「いやいや、そうじゃなく○○だから出来ないんすよー」と言い返す事も…
結局は、そこにいる私と他者の共同体感覚みたいなものがあるのかどうか?でも変わってくるなーと思った訳です。
共同体感覚でも問題になるのは、「共同体への奉仕の強要」というのが問題になるようです。(…と、Google先生が教えてくれました。)
うん、うん、まさに…。
これって、けっこう大きな問題よね。
おまけに共同体の枠って人によって、その枠をどこまで広げているかもわからないし…。
だけど、一匹狼的感覚にならないために?(いや、一匹狼は必要だとも思っているけれど)この共同体感覚をどんな枠で持つか?みたいな事も自分が認識していると楽になったりするのかなーなんて思ったりします。(←今のところ相手には望まないけど… 私なりの今現在の枠みたいな設定)
共同体感覚を持つこととか奉仕の強要を感じる事とかって、このテーマに対してこの意見!みたいな事で、解決出来ないのでは?と思ったりもします。
だって、共同体の中にいる自分の他者のあり方は、それぞれだから…。
だから、無駄にしゃべって、無駄に時を過ごして、私を知ってもらうとか誰かを知るとか…
無駄な時間が大切なんだー!と声を大にして言いたくなりました。(笑)