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感情ではなく知性で、と学んだ9月半ばの日記。

■9月16日(月・祝)

ネコのトイレを3か月ぶりに洗う。
3か月だと、やはり砂がKUSAI。

ネコのトイレ掃除のいやなところベスト(ワースト?)3。

1.砂をざばーっとゴミ袋に移すとき、砂の粉など(深く考えたくはない)が舞い散ること。もちろん、マスクはしているが、いろいろ想像するとますますいやになるので、想像しないことにしている。

2.空になったトイレを水で洗うとき、うん○などがちょっとついていて、それを要らない布などで拭うこと。
布も濡れているので、下手をすると、うん○の成分?が分子レベルで私の手につくかもしれないという想像がいやなので、無の心で行う。

3.トイレ掃除をしたベランダに、ちょこちょこ猫砂がどろっと溶けてへばりついていることがあるのだけど、それを掃除すること。
ほんっとうにいやなのだけど、その掃除もしないわけにもいかず……。

1か月に1回はちょっと精神的負担が大きいので、2か月に1回の掃除を目指す。
そのため、カレンダーの11月半ばの土曜日に、「ネコのトイレ掃除」と記入する。

■9月17日(火)

お月見なので、なにか月見っぽい夕食とかお菓子を、と思っていたけれど、手が回らず、通常の夕食に。
子どもが寝る時間帯、空を見上げてみたけれど、うちからはちょうど見られなくて残念。
夜中0時くらいに、らんらんと輝く満月を見た。
藤原道長のことなど、思う。(「光る君へ」に夢中なので)。

■9月18日(水)

月齢的には、今日が満月とのこと。
子どもと、満月を確認し、満足する。

■9月19日(木)

朝、深圳の10歳の男児が刺された事件の続報として、その子が亡くなられたということを知り、大きな衝撃を受ける。ちょっとありえないくらいのダメージを受けた。

その後、仕事でうれしいお知らせなどもあり、それは本当にうれしかった。
だが、事件のダメージは、時間の経過とともに私の中で大きくなっていく。

夜、寝る前につけたテレビでやっていた『映像の世紀 バタフライエフェクト ~9.11 あの日が変えた私の人生』を見る。

911でお子さんを亡くされた父親が、いろいろなことを経て、知性で乗り越えていこうとする姿、そしてそれによって変わる人たちが出てきていることなど、非常に胸打たれるものだった。

衝撃的なできごとに突然接することになったとき、私はどうしても感情的に受け止めてしまい、それを感情的に処理しようとする、ということに改めて気づいた。
知性をこういうふうに使うのか、とどこかすがすがしい衝撃に、目が覚める思いだった。寝る前だけど。

これまで、勉強とか知性というものを手にしても、それをどう使うのか、ピンと来ていなかった。効率的に仕事するとか、仕事の内容を考える、とかっていうことなのだと思っていた。
でも、知性をこういうふうに使うことができるのだなあと胸に響いた。そんなこと、みんな知っているのかもしれないけれど、今さらかもしれないけれど知ることができてよかった。

そういえば、今週見た『クローズアップ現代』にもいいものがあった。
そうか、私がここ1、2年感じている「なんか、私、これまでに何も成し遂げてこなかったような気がする。生きている意味とかない気がする」という思いは、この年代にとって意外と普通のことみたい。

■9月20日(金)

9時の予約の歯医者に時間通りに行く。
しかし、待っても待っても呼ばれない。
おかしいなあと思っていたところ、9時半ちょうどに呼ばれる。
診察室で歯科衛生士さんと話すなかで、予約が9時半だったと知る。
おおー、失礼しましたー。

その歯科衛生士さんの対応がとてもよかったので、ここに記録しておこうと思う。
多分「ああ、宮町さん、9時の予約と間違えてる」と気づいていたはず。それでも何も言わず、笑顔で応対してくれて、最後に次回の予約をするときに、「じゃあ、その日も今日と同じで9時半でいいですか」と。
そこで、私が気づく。
という流れだった。
感じのいい人っていうのは、こちらの気持ちも心地よくしてくれる。
私も彼女のような対応を目指したい。

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