忘れない日々
人生の中で、忘れたくないことをここに残しておこうと思う。これは私の未来への希望。そして生きる力になるはずだ。忘れない、忘れたくない、でもどうしようもない日々にフックをかけるために。
私の母は「認知症」だった。亡くなったのはそれが原因ではなかったが、認知症を患った母の面倒を見ることが困難になり、グループホームへ入所してすぐに、亡くなった。忘れたくないのに忘れていく。そんな日々を過ごした母はどんな思いでこの世を去ったのだろう……。
それを思うと胸が苦しくなるのだが、母が生前にとっていた行動が私自身にも心当たりがあって、noteに書き残すことにした。
認知症や健忘症など、症状や原因は違っても「忘れていく」ことに関しては素人の私でもわかる。「過去を忘れてしまう」ことだ。そして病気であれば進行していく途中にその苦しみは待っていた。
母の認知症が進んでいく中、私が経験したことは自分が忘れてしまっていることを認知するのが一番苦しいってことだった。もしかして自分は忘れてしまっているのか? それは病気だから? 自分はこれからどうなってしまうのか?
不安なことがたくさんあって、きっと1人で苦しかっただろうと思う。それを思うと今でも、そばにいてもその苦しさを共有できなくて、申し訳ないと言う気持ちでいっぱいになる。だから私にも味わって欲しかったのか?
その昔、母は「あんたは私と同じ運命を辿るのよ」と呪文のように言っていた。私はそれが小さい頃は嬉しかったが、母の人生を知るにつれ、母の呪縛にとらわれることに恐怖さえ感じていたのだ。母は当時は珍しかった再婚で私の父と一緒になり、私を産んだ。前の旦那さんとの結婚生活が数年あったらしいが、私も同じ年数で離婚した。それは母が亡くなる前、施設に入る前に突然聞かされたのだが、厄介なことにそのことを他の姉妹には話していなかったらしく、私だけが知ることとなり後々問題になるのだ。
自分が母親になってわかることも多い。だから私は娘に話しておかなければならないことはその都度本人に話している。もちろん今の状況も「かあさんに何かあればすぐに言ってね」と匂わせてある。その方が徐々に覚悟もできる。突然聞かされると、混乱して「そんなはずはない」と通常に戻ることを選択したがるからだ。人間なんてそんなものだ。
苦しいことからはなるべく離れたがる。人は現実逃避であっても何事もなく、平穏無事に生きる方法を考える。私も昔はそうだったかもしれないが、今は違う。目の前の現実を受け止め、前に進みたいのだ。たとえ自分が忘れてしまっても、前に進まなくても、進みたいと願う気持ちは持ち続けたいと思う。
だからこそ。ここに記しておくのだ。だからこのnoteを読む人達には、その証人になって欲しいと思っている。私が確かにここに生きて、そして思っていたことの、証人として物語を読み続けていて欲しいと思っている。
たった1人でも、未来に何処かの誰かがたどり着いた時、ふと「こんな人も居たんだ」と思ってもらえればそれで良い。それで私が今ここに生きた証拠になるのなら、それで良いと思っている。私がこの世界で生き続けられる限り書いていこうと思っている。
2020年9月8日
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