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面白きなき世の中を面白く!
自分からやりたいことと頼まれたことを区別しない
仕事をしていると、どうしても頼みごとや頼まれごとも多くなる。
例えば、懇願されてやっていると頼まれた側のやり方が傲慢になることがある。もちろんそんなことは避けたいのだが、心の底に「自分じゃなくてはできない」という優越感が生まれその優越感が崩れる時に嫌悪に変わるのだ。
頼んだ方は、平常通り他の物件と同じく接するが、頼まれた方はなぜか自分は選ばれし人間……などと勘違いすることもあり始末に追えない。
相手がその人の望むことを謙って叶えてあげようとしていることも知らず、望み通りになったことは自分の力だと勘違いするのだ。
その勘違いに気づいたなら早く軌道修正しなければならない。
一石二鳥で叶ったと思った夢も、思考が入り自分に都合の良いように変えてしまうとせっかくの厚意が台無しになる。そもそも一石二鳥で手に入れたものが実になるのか。
物事は常に相手がどうしたら良くなるかを考えると良い。そしてそんなことを同じように考えられる人の中にいる方が良い。
人間はどうしても自分だけが理不尽だと「勘違い」する。そしてそんな状況になった時、謙虚さを忘れ人に対する思いやりもなくなる。
頼まれごとは試されごと。頼まれることはその人が信頼されているからだということを忘れてはいけない。
だけど、人間は喉元過ぎれば熱さを忘れ、傲慢になる。
だから、常に客観視することが必要になるのだ。
誠を尽くすとはどういうことなのか、客観的に見てみたら傲慢にならず謙虚な心を持って人に接することなのではと浮かんできた。
それはお金に関することだけじゃなく、人との関係も謙虚でなければならないのだ。
ねばならないのではなく、そうあれば良いな、に変われば気持ちも楽になるのだ。目の前にある小さな悩みも結局は自分の傲慢さから生まれてきたものかもしれないし。そこが変われば何もかも無くなってしまうかもしれない。
頼まれごとを断るのは心が痛むが、時には断らなければならない時もある。だが、頼まれごとは試されごとだ。
今まで断り続けてきたが、たまにはやってみようとやってみると、思わぬ収穫があるかもしれない。
すぐに結果が得なくても、その時は損したなと思っても、それはいつか誰かの心に残るものになるかもしれない。
それが自分のやりたいことならなおのこと、やれることを感謝して望む方が断然に物事はうまくいく。
頼まれたからやる……そんな考えは捨てて全力でぶつかれば良い。そうすれば頼まれごとなのかやりたいことなのかもわからなくなるほど、人生が面白くなるはずだ。
やりたいことだけやる人生よりも、頼まれごとをやっていたらすごいことになったという人が世の中には溢れている。
信じれないならやってみると良い。頼まれたことを断らずに。
そうすれば物事の本質が見えてくる。
さ、私も頼まれごとを始めよるとしよう。