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病気が気づかせる夫婦の形

うちの夫は「超」男脳だ。一つのことしかできないし、あまり細かいことにこだわらない。だからこそ、冷静なのだが時折私に対して冷たいと思われるような暴言を吐いてくる。

私にとってはそれが苦痛でならなかったが、その暴言(と思っていた言葉)は実は私の痛いところ(核心)を突いてくることがわかり、少し見方が変わった時期があった。

女性で多いのは「感情」で流されること。その時の「好き」とか「嫌い」とか「やりたい」とか「やりたくない」とかその時の感情でクオリティが上がったり下がったりする。

仕事においてはあまり褒められたことではないが、時代が変わってそれでもやっていけることがあるから、私の自由さが加速していて、私自身も少し考えを改めなければと思い始めていたところだった。

夫は高卒で会社に入り、ちょうど40年が経とうとしている。その40年の間に会社と言う狭い世界の中でたくさんの経験をしてきたと思う。時には逃げ出したい時もあったはずだし、反対に良い思いもあっただろう。特に、高卒から這い上がるのは並大抵の努力では足りなかったと思う。それについては、また別の時に詳しく書こうと思うが、波乱万丈な人生でそれはそれで面白いと思う。

専門的な知識と経験、そして技術の習得には長い年月も費やしただろうし夫がいつも言っている「底辺からの脱出」には自分が努力すれば良いだけじゃない「人心掌握術」も含まれていて私は時々驚いたものだ。付き合い始めた頃、目の前にいる夫が違う顔を見せるたびに心をときめかしたものだ。だから、周りにいる人もきっとそこに引かれたのだと確信し女の影がないか探ってみたりもした。

要するに、夫は人の心を操るのがうまかったのだ。

過去形にしたのは今の時代では通用しなくなったからだが、夫のその才能は未だに健在だ。それを証拠に私はそれに気がついて夫のことを観察することとなった。

二人でいる時には気がつかない面を私の友人や仕事仲間と一緒になった時に気がつくこととなる。

コーチングやカウンセリングにおいては「アドバイス」をするのではなく「気がつくようにナビゲートする」ものだと言う認識なのだけど、夫が気がつかないうちにナビゲートするようになっていた。

私の夫はアドバイスをしたがる人で、以前から何か相談しようものなら畳み掛けるように言葉が出てきて挙げ句の果てには「こうしなさい」と言う断定的な言葉使いと自信満々な態度が少し威圧的な印象で私はそれがたまらなく不快だった。

しかし、お互いが人生の半分以上を過ごした後、酸いも甘いも経験した後、ついでにお互いの修羅場も潜った後で出会った私たち、学習能力は多少なりともあるようで、一緒にいる時間が増えるほどにAIのように経験を積み上げ、言葉使いや態度が変化していった。

考えてみれば、夫の威圧的な態度が不快だからとそれを封じ込めるように、上から目線な態度で接し応戦した結果変化したのは夫の方で、私は何も変わっていなかった。

そんな時、友人から一通のラインを受け取った。
「夫の様子が変」
最初は夫婦喧嘩の延長だと思っていたが、どうやら何か病気によるものだと言うことが判明した。

詳しい病名はわからないが、原因は「ストレス」と言うことだけ教えてくれた。そしてその友人は自分を責めていた。「夫がこうなったのは自分のせいだ。自分がいつも上から目線で夫に接していたから…」といって涙を浮かべていた。

物忘れが激しくて、病院に行くと脳が萎縮していたと言うことを別の誰かから聞いたことがあった。検査の時に軽い脳梗塞が見つかることもあるらしいし、現代人は常にストレスにさらされているから、気をつけようねと友人とも話していた。

だが、いくら自分のことを気をつけても、側にいる人が自分が原因でストレスを感じていたとしたら、いたたまれない気持ちになる。

自分の夫はどうなのか?
素朴な疑問が湧きあがったので、素直に質問してみた。

私「モヤモヤすることない?」
夫「ないこともないけど、あまり考えないようにしている」
私「それってずっと前からそうだった?」
夫「だんだんなったんじゃないかな」

「超」男脳の夫もいろいろあったようだ。その話の流れで、友人の旦那さんの話になった。夫はその話を聞き即答した。

「捉え方の問題じゃないか?」

夫の話は、ストレスを感じるのは自分自身のことで相手の問題もあるが受け取る方がどう感じてどう受け取るかが一番重要であると言うことで、例えば同じ物事が起こった時に悲観的に考える人と楽観的に考える人とじゃストレス度合いが全く違うのではないかという内容だった。

しかも、それを考えることなく質問されて即答してきたので、常に頭の中にあったのだと思う。会社の中でもよくあることだが、上司の言うことにいちいち「パワハラ」だ「セクハラ」だという部下に対し、何も言えなくなり腫れ物に触るように接すると部下はそれが当たり前のようになり、どんどんエスカレートして行く。

夫の会社もそんな状態になっているのかもしれない。でも、その中で過ごすことによって、夫の考え方がどんどん変わっていったのも確かだ。

実は友人の旦那さんの話を聞いた時、私自身の夫に対する言動が夫にストレスを与えていたかもしれないと、思い悩んだのだった。私の態度が夫の脳へ影響し、萎縮させているかもしれない…… そう思うと心の中に罪悪感と恐怖感が浮かんでは消え、いてもたってもいられなくなった。

元々私はHSP(Highly Sensitive Person)ハイリー・センシティブ・パーソンの要素を持つ人間で、ものすごく細かいことに気がつき気になり、時には体にまで影響してくることがある。これは最近気がついたのだが、昔はもっとおおらかだったのに、経験を重ねるごとに繊細さが増していったような気がする。

それを知ってからの夫は、私に対する言葉を変えてくれるようになった。

夫が私に冷たい言葉を投げかけるように、私も夫に暴言を吐いていたかもしれない。威圧的な態度を取られると、それを封じ込めるかのように腕力では勝てないぶん、言葉の力でねじ伏せていたかもしれない。

だけど、それを全て含めて受け入れ、私の知らない場所で周りから守ってくれていたのだと言うことに改めて気がついた。

「捉え方の問題じゃない?」

そう言った夫は私の傲慢な態度を責めることなく、捉え方を変えいつものように接していてくれた。私はそれを友人夫婦のあり方を見て教えられることになったのだ。

HSPの私にとって「超」男脳の夫は、違う角度で物事を見てくれる大切な存在だ。それに気がついてからは夫に対する暴言もはかなくなり、態度も少し優しくなったと思う。人間、自ら気がついてこそ態度が変わるのだ。

誰かに言われた言葉で変わっても、すぐに元に戻ってしまう。だから経験を重ねることが大事だし、経験したことを忘れないことも大事。同じことを何度も繰り返さないようにすることが学びにつながるのだと私は思っている。

そして今の時代は情報が氾濫していて、その情報に触れただけで経験したことにされている風潮があるが、決してそうではないと思う。「知る」ことと「行動する」ことは違う。知っていても行動していない人はたくさんいる。知っていて行動しないことが一番勿体無いと思うのだが、気がつかないうちに「知る」ことで満足することが多くなった気がする。

夫のことも、友人夫婦のことがなければ「そんなこともあるかもね」で終わっていただろう。だが、このままの状態が続くと近い将来必ず後悔する日が来ると感じたから行動が変わったのだ。

友人もそのことに自ら気づいたようで、話終える頃には表情が変化して柔らかくなっていた。気がついて行動が変わるなら、未来が変わる。きっとこの先、何か変化するに違いないとその友人を見て思った。

どんなに人嫌いでも、どんなに立派な人でも人間は一人きりでは生きられない。誰かの助けと誰かを助けること、助け合い支え合いで成り立っている。気をつけなければいけないのは「誰と組むか」だけだ。

その相手を間違えれば、いつまでも苦しい日々が待っているがそこさえ間違わなければ、人生において自分のやりたいことができ充実した時間を満喫できると私は思っている。

真逆な性格で一見気難しい人と一緒になったとしても、それはバランスを取るためであり、お互いが分かり合えるのであれば二人とも幸せになれると思う。

誰のためでもなく自分たちのために何をすべきかを考えたら良いだけで、決して誰かのために幸せになるのではないということをこれからもしっかりと考えて生きて行こうと思うのだった。

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