自分の中のもうひとりの私
そんなに辛くなさそうな顔で
まだちょっとお腹痛いよ、と言う我が子の姿が
自分の中のもうひとりの私と重なった。
具合が悪いときの娘(息子)がもうひとりの私みたいに思える。
自分の中のもうひとりの私自身が重なるとでもいうのだろうか。
大丈夫、もうちょっと頑張れる
そう言い聞かせて仕事に行ったり、無理をしたツケは必ず来るってことを思い知らされるようだった。
熱で辛そうに横になっていてそのうち寝てしまった子供の顔を見ていると私も少し休むときなんだなと思う。
家では子供たちの親だけど、仕事はお金をもらっている以上キチンとやらなければならない
そんなふうに勝手に責任を感じているからか会社に電話をしたときに出てくる言葉はすみません、ばかり。
いつも謝ってて嫌になっちゃうな…
実際の子供の看病と一緒にもうひとりの自分も面倒をみてあげるような感覚で過ごす。
小児科を予約し連れて行って、風邪用の食事を作り、薬を飲ませて風邪が治るまで世話をする。熱がある程度下がり落ち着くまでは心配で夜もよく眠れない。回復をしてきたらその後は食べられそうなものを食べて、寝たい時に眠って。
とにかくゆっくりして完全復活を待つ。
外に出たくなってきたら元気になってきたサインだ。
私は
そんなに辛くなさそうな表情で
はい、大丈夫です
と言った。
でもそれだといつかは大丈夫じゃなくなる時が来てしまう。
"大丈夫じゃないこと"はその時どきで小さいうちに解決したい。そしたらスピードは落ちても立ち止まらず進んでいくことができるだろう。
頭で考えすぎずに感じることを中心にして、問いかけはもうひとりの私にしてみる。
自分の中のもうひとりの私は
大丈夫じゃない
って私の目を見て言った。
それを私が受け止めてあげて、客観的に見ることで具体的な行動をしてあげられる。
まだまだ冷え込むこの時期の朝は寒いぶん日中は暖かな日がある。
文字通りポカポカな午後の陽気は自分も、自分の中のもうひとりの私も笑顔にしてくれた。
そんなニコニコ顔のもうひとりの私にかけるべき言葉はしばらく前から決まっていたんだ。
いいんじゃないの?仕事辞めても
やっとかけられたひと言は子供と私ともうひとりの私の回復を後押ししてくれるのだった。