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土曜日はすっぴんで吉祥寺が最高ッな話
まずは、本題に入る前に私の2020年を振り返りたい。今年に入ってから新しく始めたことと、しなくなったことを、それぞれ思いついた順にとりあえず並べてみる。
【2020年に私が新しく始めたこと】
・ボクシング
・アイラインを引く
・ひとり外食
・お布団で寝る
・部室に入り浸る
・ライターの仕事
・ミニスカートを履く
・使わないアプリを随時消す
・履修してない授業を受ける
・母に手紙を送る
【2020年に入ってからやめたこと、やってないこと】
・日記を書く
・パン作り
・ドラマを見る
・エレキギター
・真夜中のお菓子作り
・髪の毛をドライヤーで乾かす
なんか、改めて書き出すと結構自分の人生変わった気がする。なんとなく過ぎたような2ヶ月も、視点が変わればわたしの2020年は変わったことだらけで面白い。
書き出してみて一番最初に思ったのは、
新しく始めたことに関しては意識して変えたものばっかり挙がってるけど、やめたことに関しては無意識のうちにしなくなったものが多いんだなぁということ。
例えば、日記の話。
高校生からほぼ毎日書いていたのに、今年に入ってから全然書いてない。もはや今、日記がどこにあるのかも分からない。これまでは常に枕の下に置いといて、寝る前に赤裸々すぎるくらいに思ってることを書き綴っていたのに。
でも、これにはちょっと思い当たる節がある。あまりにも同じことを考えすぎる毎日に、虚無を感じて1日を振り返りたくなくなったんだ。あとは「書く」ということへのスタンスが変わったこともあるなぁ。岸田奈美さんのnoteに出会ってからどうせなら面白いこと書きたいと思うようになって、なんでもかんでも赤裸々に書き出すことをやめたくなったんだ。
本題ではないけど日記についてはもう少し書きたくなったので続けると、
実は日記を書くことは、わたしの人生において結構大きな「何か」を占めていた。それは、心の支えであり、アイデンティティの形成であり、ムシャクシャの吐き出し口であり、自分に酔うことであり、現実逃避であり、寝る前のルーティンであったり。
寝落ちた日は翌朝書いたり、まとめて2日分書いたり、とにかくコンスタントに書き続けるいうのがわたしのこだわりで、書くことがない日でも、一言「ハラヘッタ」と書いたり、全然関係ない女の子の絵を描いた。でも、逆に考えることだらけの1日を過ごした日は、30分から1時間くらいずっとペンを走らせて書いていたので、いつからかボールペンの入れ替わりの早さが自分の心の荒ぶりの確認になっていたりもしていた。
だけど、こんな理由のないただのこだわりを守り続けてまで大事にしてきた日記だったけど、やめられるときは案外超サクッとやめられちゃった、私。
へぇ、、、。そうか、、、。
ちょっとかなしかったり。
でもはたちになってみておもう。
サクッとやめること。
これは結構、大事なことだ。
話は変わって、
最近、わたしは多重人格なんじゃないかと思うことが多い。
「書く」という自分と向き合う作業ばかりをしていると、自分が嫌っていることを実は自分もしていたり、人によってみせている顔を無意識的に変えていたり、ある日は「なんで自分は生きてるの」的なことをテーマに書き連ねてるのに、次の日には「わたしはわたしが好きだ」的な自信満々の文章を書いていたり、もう支離滅裂も甚だしくて、自分で自分が操作範囲内にいるような気が全くしない。
そして、これは一見めっちゃデカイ問題の様に思う。
「自分で自分をコントロールできるようにならなきゃ、苦しくなっちゃうヨ」
みたいなことを、なんか知らんけどよく聞くし、
この歳になって「自分がわかりません」っていうのがちょっと怖いし恥ずかしいというのも、私にはある。
だけど、いや、もう恥ずかしさどうこうを話してられないほど、わたしは支離滅裂、千変万化で。
実はもう結構前から、ノーコントロール。
手に負えとらん。
だから、もはやわたしは自分で自分を操作したくない。というより、できないことを悟ったので、素直に認めて無駄な努力は控えたい。
恥を捨て、認めるしかない。
わたしは「わたしが分からない」と。
わたしは「わたしを手に負えん」と。
では、認めた先にわたしが大事にすべきことは何かというと、それがサクッとやめることだと思うのだ。
その時その時で思ったことが違うなら、サクッとやめてしまえばいい。そしたら、「わたしは支離滅裂な人間だぁ!」と悩みまくることもなくなるし、なにより、なんか手に負えてる感があって、気が楽だ。
それに、その瞬間の自分に身を任せていれば、いつかは分からないなりにも分かることができるような気もする。
自己肯定感もあがるってもんよ。
ああ、
本題は私が今年に入ってボクシング始めた話だったのに、前置き書き過ぎた。
これからボクシングの話題に持っていくのはだいぶきつい。また今度にしよう。
だけど少し触れると、
ボクシング後シャワーを浴びて、すっぴんのまま吉祥寺を徘徊するのは結構楽しい。
たまにガラスに反射する自分の顔をみておったまげたりもするけど、
「ワタシはすっぴんでもブサイクでも、今楽しいんだから、これでいいんだよ!」
という、自己卑下型の自己肯定感の上げ方を採用するスタイルで生きてる。
それでいい。
ボクシングの後お腹減って消費したカロリー以上を食べちゃうのも、別に良い。
すっぴんで街を歩くと、違うところに意識を向けられるのも、また良い。
今この瞬間のわたしがこれでいいから、これが良い。
そういう心持ち。