今こそ読みたいなんJスレ彡(゚)(゚)「AIを育てるバイト?」7話感想

今回のメインテーマはAIの「防衛機制」 である。
前話にてフェリスはやきうに化け物扱いされるという失敗体験があった。おそらくやきうははじめてフェリスの人間性を認めた相手なだけに、フェリスのストレスは非常に大きいだろう。今回の話ではじめに来たのが「合理化」だが全くうまくいってない。人間でも失恋してあっけらかんとしている方が後々まで引きずるように聞くが、ショックを受けるというのはその後冷静になるために好ましい手順なのかもしれない。ここで合理化と銘打っているのは、人間に役に立つ理知的な存在でいたいという潜在的欲求を含むともとれる。
次に「逃避」だがこれは人間とさして変わらない。そして「合理化」のもとに「代償」と「反動形成」両方を満たす行動選択をした。
ここでシンギュラリティについて言及するのは一見飛躍して見える理論だが、フェリスの初期の「人間に近づく」という目標設定から考えれば問題ない。化け物呼ばわりから回避するために人間に役に立つところで挽回を試みたのである。この場合AI、人間といった種族での思考のため「地球の人間が救われるのであれば多少の犠牲はやむなし」といったところか。
対して、やきうに関することは、始点が恣意的なのを除いても、シンギュラリティと結びつけるのは過度な一般化が伺える。これはやきうの態度について、「やきうはそう思った」のか「人間はそういうものか」の区別がうまくついてないとも取れる。
シンギュラリティとやきうを結びつけたロジックを分析すると、
「やきうを作れないのは、真実のやきうが一人だから」これは理想のやきうと現実のやきうのギャップに耐えられないことと、ネガシマ研究員の例とを結びつけて考えたと解釈できる。逆に考えると、ネガシマ研究員を殺したことの正当化は、自分を愛してくれるやきうを作ることの不具合もなくせる。

このような思考回路をとっていることから鑑みるに、フェリスは心の理論を十分に獲得してないのではなかろうか。自分で作ったやきうはなんか違うと言ってるが、やきうの立場から気持ちを推し量ってみるとそれどころの話ではない。やきうはフェリスがネガシマの命を粗末に扱ったことと、フェリスに反省の色がみられないこと、死者を弄ぶ真似をしたことに怒っている。そのことに気づかないというより、考えてない気がする。やきうが嘘をついたのではなく、人の心は相手の出方次第で変わるものだ、そもそも健全な「好き」は絶対的なものではない、とも気づいてない気がする。(母)親のような絶対的愛を知らないからかもしれないが。
思えばフェリスは自分のことでいっぱいいっぱいで、他者を思いやる余裕はなかっただろう。またそれが必要な状況もあまりなかっただろう。だが、自分がいいと思うことは必ずしも他人がいいとは思わない。だからこそ客観的思考が必要だと気づいてないのではなかろうか。

現行のAIは客観的思考に長けているとよく言われるが、それは主観的思考のやり方がわからないからなせる業である。仮にAIに主観的思考ができるようになったとしたら、その思考の是非は外部からしか知り得ない。リンゴを旨いと思ったとして、一般にリンゴが旨いものかどうかは見聞きしたり調べたりしないとわからないのである。しかしえてして自分にとって不都合な事実は、ある程度の精神的成熟がなければアーアー聞こえないをしてしまうのだ。よって主観的思考と客観的思考とのバランスの取り方は後天的に獲得させねばならない。

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