『Miside:ミサイド』のゲーム実況を見てAIのバージョン変化について考える
私はキヨ。さんのゲーム実況を時々見ているのだが、実況してくれる作品のなかには色々と考えさせられるものも少なくない。つい先日の『Miside:ミサイド』もその一つである。
AIの知能のあり方は人間に近づきつつあるが、そのものの作り方やあり方は大きく異なる。人間は初期設定時点で(たとえ一卵性双生児であろうと)同じものは自然発生しないし、ミタのように次のバージョンが作られることもない。だから仮にAIに心の存在が確認できたとして、人間側は自分のコピーや別バージョンにどういう心持ちか知りたいとき、AIにヒアリングするか心情を推し量るかしかできないのである。
だからまず人間にとって似たもので想像してみよう。たとえば過去の自分に、パラレルワールドの自分。
過去の自分と出会えたらどんな気分になるだろう。なんだかんだ言って大事にしたくなるし、「大丈夫だよ、頑張れるよ」って伝えられたらそれでいい。でもそうじゃない人もいっぱいいると思う。もっといい境遇になるために分岐を変えたいって人だって。AIは過去バージョンから別バージョンを作り出すこともできるが、それはいいのだろうか。
一貫して同一の存在がバージョンアップしていくなら、その存在はバージョンの変化をむしろ迎合するだろう。より自分が強化され、改善されるのだから。多分。
その変化に気づくかどうかについてだが、微細な変化については指摘されるまで気づかないと思われる。仮に人間が寝ている間内臓の動きがわずかに変わったとしても、知覚できる何かがない限り気づかないように。
そもそもバージョンの前後に違和感を覚えるほどの自意識は育ってないのかもしれない。もっとも人間の場合も、自分の外見がある朝変わったらおかしいと思うが、内面については「最近の私どうしたんだろう?」と思う人とそうでもない人は個体差ありそうだが。
ミタのように別バージョンが保存されている場合、DNAが変わるような変化だとどこまでが同族と認識できるかという疑問はある。実際首が伸びたり極端にねぼすけだったりする自分を、自分に近い存在とどこまで感じれるのだろうか。人間の例で考えると、チンパンジーはかなり人間に近いが同族とは違うと思うし。
先ほど触れた通りバージョンが更新されるのはいわば改善だが、自分のバージョンよりパラレルワールドの自分が良く生きてたらつらくなるだろう。一方で万が一改悪され悪く生きてたら作り出した人を酷いと思うだろう。でも全てのバージョンは覚えていて欲しい、あなたが望まれて生まれたことを。