石破ショックと岸田ショック・・・新総理の価値を株式で決めて良いんでしたっけ?

石破総理が就任し、株価が下がって「石破ショック」と言われています。株式市場からは批判の声も聞こえ、私はこの状況を見て「岸田ショック」を思い出しました。岸田総理の就任時にも株価が急落し、その後彼の政策が株式クラスタから批判されました。

株価と総理の評価

株価が新総理の政策に敏感に反応するのは、ある意味で当然だと思います。経済政策が株式市場に与える影響を無視するわけにはいきませんし、株式が上下することで新しい総理の価値を測るのも理解できます。しかし、近年では株価指標に過度に依存し、政治的評価を株価の動向だけで判断してしまう傾向があるのではないでしょうか。

株価はあくまでトレーダーの利益

株価というのは基本的に、市場の利益を基準にした指標です。もちろん、株価が下がると自分の資産価値が減少するため、批判が噴出するのも理解できますが、これは単に経済政策の是非ではなく、自分の利益に直結した反応ではないかと思うのです。ここで、株価の下落を新総理への批判に直結させるのは、やや公私混同ではないでしょうか。

株価と政治の関係

株価は本来、経済の実態に依存しています。新総理の発言や政策が一時的に株価を上下させることはあるにせよ、それが本質的に総理の価値を決めるものではないはずです。しかし、現代の金融社会では、総理が株価の動向に注意を払い、その影響を考慮しなければならないのも事実です。ただ、それは21世紀に特徴的な現象であり、必ずしも未来でも同様であるとは限らないと思います。

天気予報に例えると

この状況を天気予報に例えてみると、かつて天気が悪ければそれは為政者の責任だとされていました。天気の悪さを為政者の能力の不足と結びつける考え方は、現代の「株価が下がれば総理の責任」という論調と似ているように感じます。どちらも、実際には自然現象や経済構造に依存するものであり、政治の力では根本的にはコントロールできません。それでも、多くの人々は株価の上下を政治と結びつけ、総理の評価につなげるのです。株価が下がるとすぐに総理を批判する風潮があるのは、古代の天気予報に対する考え方に似ているのではないでしょうか。

短期的な介入はできるけど・・・

天気や株式の動向に政治が短期的に介入できることはありますが、長期的にはその影響は限られています。知識層は、大衆が天気・経済と為政者を結び付けていることを前提に、短期的介入の下手くそや旨さを批評することもあります。もちろん、現代の首相にはそのテクニックに優れている義務があるとは思いますが、それは未来もそうでしょうか? 天気予報が為政者の責任に帰さなくなったように、株式も同様になるのではないかと思います。

おわり

株価と総理の評価を結びつける現代の風潮は、短期的な視点から生まれたものだと思います。長期的には、株価は総理の口先や政策だけではなく、経済全体の構造や世界の市場動向にも左右されるものです。今は、株式市場に敏感な言論が注目を集めていますが、未来においてはこのような短期的な評価が徐々に忘れ去られるのではないかと考えます。

株式市場の動向に一喜一憂するのではなく、もっと大きな視点で政治を評価する必要があるのではないでしょうか。

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