宮古のいまむかし 池間編 すでになかったカツオ工場
そうだ池間へ行こう!池間と言えば鰹は昔の話。観光船の隣には廃墟となった鰹工場。寒空に大漁旗がはためていた=写真=。
池間大橋近くの店でなまり節を売っている。珍しそうに見ているとおばあが試食させてくれた。私は辛子マヨネーズを付けて食べる。思った以上の柔らかさと鰹と辛子マヨネーズとの絶妙の味に心を撃たれ、即購入。
おばあは昔の池間の写真が載る今年のカレンダーをめくりながら、「鰹工場は池間にはもうない。小学生の時まではやってたさ」と話した。私は衝撃を受けた。
来年の池間島カレンダーを買いに総合センターへ行くと、おじいとおばあが寛いでいた。すかさず昔の池間のことを聞くと、車椅子のおじいは今年のカレンダーを見ながら懐かしそうに語り始めた。正直上手く聞き取れなかったが、昔、鰹工場でなまり節や鰹節を本土に送る作業で忙しかったそうだ。
魚のことならばと池間漁協へ行ったが、あいにく組合長は那覇の出張で留守だった。漁協の事務所で働くおばあといろいろと話が弾んだ。宮古島の生活が苦しかった時代、池間島は鰹漁のお陰で、子供を大学まで行かせるほど裕福だったという。話は尽きずいつのまにか夕方になっていた。
池間島には10月のミャークヅツに向けた現地聞き取り調査がきっかけでよく行っている。来年のミャークヅツは池間に行こう。
宮古・佐良浜のカツオを使った料理を紹介したことにちなみ、昨年の12月10日、Facebookに投稿した記事をnoteに一部編集して投稿しました。今後、宮古のいまむかしの記事はnoteに移行し、継続して書きたいと思っています。