身の回りの国際結婚の多く、私の知り合いに限っていえば50%未満というところだろうか。 都内23区内に住んでいるが実は純日本人の友達や知り合いが少なく、外国人やミックスの人達ばかりとつるんでいる。 時々遠い未来に想いを馳せてみる、このまま行くと国際結婚する人が増えて純日本人が少なくなる可能性がある、と思う。 そうなると純日本人が珍しくなってレアな存在になるのでは?と思う。 思い出せば主人が海外の大学院時代、同級生で混血ではないのは主人だけだった。 海外では混血は当たり前、寧ろそ
我が家の子供に幼稚園、小中とそれぞれ半々づつを日本とインターナショナルスクール(一部海外含む)で経験させてみた。 今考えると面白い経験ではあったが実験的な要素も含み、子供にとって転校が良いことか何度も悩んだが海外と日本各地を転々とする生活スタイルなため致し方なくそうせざるを得ないというのが正直なところだ。 まだ現在のところ年齢的に高校卒業まで行ってなく途中の段階でのレポートになるがそれぞれの教育を比べて記述したい。 日本の教育は本当に細かい所まで団体全員が同じゴールを目
パートナーは今定職に就いていない。 FIREという概念こそなかったが数年前にパートナーが海外留学にすることになり一家で海外生活を送ることをきっかけに知らぬ間に気づいたらFIREになっていたというのが自分達の認識である。 現在は日本に帰国しているが、時期をみてまた海外に行くことを目論み中。 私は子供を出産してから時折お手伝い的なお小遣い稼ぎはあるもののずっと専業主婦である。いつかまた働くことを夢見ているが特段強い思いではなく自分の好きな分野の職を体験してみたいとは思いつつ
人生楽しみたい、楽しませたい主義。 そんな私が今実践しているのは子供を笑わせる育児、教育。 どれだけ子供を笑わせられるか、日々挑戦。 ただ面白いことをしたり、話をするだけなんだけれど。 聞いた話によると、赤ちゃんは1日7,000回笑うそうだが大人はなんと1日7回しか笑わないそう。 そんなうちは毎日お腹が痛くなるくらい笑っている。 うちの笑う効果は、中学生になった今子供は反抗期でもあるがソフトか感じで戯れあい程度に、学業も特に勉強しなさいとも言わずストレスやプレッシ
デビュー当時から宇多田ヒカルさんの歌が好きで音楽のみならず、作詞の意味の奥深さも含めて彼女に長い間魅了されている。 デビュー当時はまだ珍しいブログとテレビを始め、ツアーのトーク、最近ならインスタライブで、彼女の話す内容はいつも新しいモノの見方を教えてくれ尊敬している。 宇多田ヒカルさんが2010年のコンサートで人間活動に入ると長期間休んだことがあったが、私もその考え方に触発され(感化されやすい)宇多田さん同様にその辺りから人生について方針を考えさせられるきっかけとなったな
私は18歳で大学入学してすぐにパートナーと出会って即同棲開始し、その後大学卒業して就職、結婚、出産、30代からは海外生活に入ると共に自然とFIREになり、その後日本に帰国し現在東京都内で暮らしている。 一見スムーズに流れるような人生。 もちろんここまでくるのに紆余曲折はあったし、身近に先駆者がいないのでこれで良いのかと常に悩んでいることもある。 私自身、一般的な平均よりはちょっとだけ早めに人生を進めてきたように感じる。 20代のうちに産めば寿命が80歳としても60年近
誰かと思い出話に花が咲くことがある。 大きなイベントだけでなく日々の小さな出来事だったり、意識しないで送っている生活の中で同じ経験をシェアしたことを思い出しながらその時の気持ちを話したりすることって、とても価値があるものなのではないだろうかとふと気づいた。 自分の記憶から抜け落ちた部分が他の人から言われてパズルのように記憶のピースがはまったり、その時は気づかなかったことを教えてもらったって新たな発見を見出したり。 そのことが自分にとってはまるで読んだことのある本を読み返
自分で家事や子育てをしているけど空いている時間にしていること。 散歩に出かけるのがルーティン。 毎日美味しそうなレストランやパティスリー、雑貨屋、美術館、大使館、など楽しい発見がある。 1万歩は歩くようにしている。 また図書館や本屋に行くのもルーティン。 新しい本をチェックしたり、今勉強中の本を読んだり。 どちらもお金をかけなくても楽しめる趣味。 お金があってもなくても変わらず昔から続けているルーティン。 きっとこれからも一生続けていくであろう。
昔から作家の銀色夏生さんが変わらず好き。 銀色さんはお仕事はきちんとされながら、子供を連れて海外に長期旅に出たり、宮崎と東京でデュアルライフを送っていたり一般的な生活とは少し違う生活を送られている。 私が10代前半から読ませてもらってる銀色さんの日々を綴った本、「つれづれノート」は長い時間お付き合いさせてもらっている気分でいつの間にか銀色さんのような生活スタイルが当たり前に感じ私も普通の生き方とはちょっと違う人生を歩んでいる。 まさに銀色夏生さんがロールモデル。 例え
コロナウィルスが流行り1年経ち、マスクをつける、三密を避ける、等対処法が分かり今も実行している最中だが、この生活で得たもの、失ったものについて記録を残したい。 私は都内在住で移動は専ら電車利用が多いが満員電車に遭遇することはなくなり大抵座席が空いていて座ることが出来る。 人気予約必須レストランも予約が取りやすくなった。またホテル、温泉宿も同様に予約が取りやすくかつ料金もお得なプランの恩恵を受けられる。が、一般的に高級ホテル、旅館が混雑したり、一部の慣れていない人がルールを
くまのプーさんの名言「何もしないをする」 この言葉は一見矛盾しているようで深い意味を持つなぁと思った言葉。 なかなか大人になると何もしないをするって難しいこと。 でもその状態を敢えて作ることで私は新たなアイディアが生むことが出来る。 生活の中の小さなことをよりよくしたり、次は家族で何をするか、等。 無理矢理考える事ではなく、ふっと思いつくようなこと。 それが人生の中の良いスパイスになってる。 詰めて考えるよりもリラックスしている時の方が良いアイディアが生まれるん
ゆるーく子持ちファミリーFIRE中。 コロナが発生する前に東南アジアに住んでいた時のお話。 当時、子供はインターナショナルスクールに通っていて日本の学校より休みが多く、特に夏休みは丸2ヶ月以上。 私達は精神的自由、時間的自由、経済的自由、身体的自由を謳歌し、元々旅行が大好きだったのでほぼ毎月のように住んでいた東南アジアをベースに海外旅行に行ってました。 その時はコロナなんてまだ存在していなかったので、海外旅行なんていつでも行けるだろうと考えていたが、今になり結果行ける
FIREを実践しての過去の経験談の話。 夫婦、子供1人の3人家族で東南アジアに2年間海外留学した時のこと。 駐在ではないので全ての費用を捻出しなきゃならない。 東南アジアは物価が安いので生活費は日本より費用は抑えられる。 でも日本と同じ生活のクオリティを求めると日本在住時と同等かもっと高くなるのは必然のこと。 私達は滞在国が外食文化で節約もしつつそれなりに滞在費用を比較的抑えられた。 また当時私達は英語も現地語も全く話せず、英語は一般の日本人が出来る程度の読み書き
子持ち家族で今ゆるーくFIRE中。 私とパートナーが大学卒業後それぞれ就職、結婚した当時の話。 大学生の頃、無意識ながらも私は二人で合計1000万円稼ぐパワーカップル(定義は諸説あります)を将来的に目指してました。 就職して最初の年に図らずも二人の稼ぎがその定義を超えていました。(有名企業ではなく一般の会社に就職しました) あっけなくパワーカップルになった私達ですが実際はくたくたな毎日。 私は家事全般請け負い、フルタイムで仕事。 パートナーの方は仕事が超絶忙しく
人生思うようにいかないことは多々ある。 そんな時私は他の人に話を聞いてもらったり、慰めてもらったり抱きしめてもらったり、助けてもらう。 そんな時のハグはすごいパワーがあり、それだけで辛い気持ちが随分軽減される。例えば自分でぬいぐるみを抱きしめた時でさえそのパワーは減るが健在。 これは幸せホルモンが出るオキシトシン効果のおかげ、この効果を皆もっと積極的に使えばいいのに、と思う。 また時間が経って後々その出来事を思い返す時、私は過去の自分を抱きしめてあげたい気持ちになる。
幸せな人生、理想の人生とはどんな? 私の考えは身体的、精神的、経済的、時間的自由が揃えば幸せで、それに楽しいことが見つけられて毎日思いっきり笑うこと、それが理想の人生。 実際に今全て叶い幸せな人生を送っている。 私は途中まではごくごく普通の人生を送ってきた。 大学卒業後働き、20代で結婚し子供を持つ。 普通家庭を持ったら安定を求めるのだろうけど我が家は30代で海外に家族で留学する為引越して人生に変化を求めた。(今は日本に帰国済) それが生き方を変えるきっかけになっ