美大の大学院でのぶっ飛んでた思い出と、実践者であり続けるということ

こんばんは、みやこびとです。

今夜は、大学院の同級生ご夫妻と我が家2人でご飯に行ってきました!

同級生といっても、かなり歳は離れていて、だからこそいろんな刺激があるという贅沢。

わたしが会社を辞めて、一期生として通っていた美大の大学院はとにかく院生仲間の幅が広かった。

学部を卒業したての22歳から、会社を定年退職された還暦の方まで、文字通り多様性あふれる33名だった。

入学した年に、教授と同級生の還暦祝いを同時に開催したのが懐かしい。

人生100年時代、何歳になっても学び直しができるような環境が整いつつあるとはいえ、普通はなかなか想像できないような、本当に世代も社会人大学生の職種も本当に多岐にわたる同期たち。

「会社を辞めて飛び込んだ美大の大学院で学んだことはなに?」と聞かれると、もちろんいろんな答えが浮かぶものの、やはり第一は「一生ものの仲間」なのかもしれない。

普通に会社員してたら、繋がれなかったであろう彼らは、本当に職種も社会的立場も多種多様で、私が知らない世界のことをたくさん学んだ。

自由で面白く、常識に囚われることなく、次々と挑戦しフィールドを広げていく、ぶっ飛んだ仲間たちに囲まれた2年間は、飽きることがない日々だった。

思い返すと、いろいろあった。

校舎もプロトタイプ状態(?)で、我々が巣立った直後に耐震補強をし直すという理由で建物の中がほぼ全てリノベーションされ、卒業後に学び舎を訪れても、空間としては全く見慣れないため、「懐かしくもなんともない」という奇妙な経験をしている。

さらに、美大としての歴史は古く伝統ある大学なのだが、わたしたちが一期生で飛び込んだ大学院のプログラムは新設されたばかりで、学内の色々なルールが未整備のままだった。おかげ?で、何度も大学院生と大学担当者と議論を重ねつつ、時にここで複数の院生の社会人としての経験も生かされつつ、ひとつひとつルールが整備されていったのも良い思い出。

当時の学長(現在の理事長)をはじめ、たくさんの方の想いが詰まったプログラムで、デザインとアートを学び、社会との接続点を見出し作り出す場としては、最高に面白い環境だったな。

なんか、今夜のご飯の場で色々思い出話をしたから、脳裏にいろんな出来事が久しぶりにたくさん浮かんだ。

卒業式の日、大学院一期生のわたしたちに向かって、学長はこう語ってくれた。(一語一句は覚えてないけど、こんなニュアンスだった記憶)

「ここで学んだことを、これからどう活かすかがもっとも大事。実践者であり続けてほしい」

わたしたち一期生は、卒業後にそれぞれの元の職場や新天地で引き続きみんな頑張っている。

それに加えて嬉しいのは、何よりもつながりがきちんと残っていて、共同でプロジェクトをやったり、仕事をし合ったりと、有機的な関係が今も続けられていること。

久しぶりでも、顔を合わせると、週5-6で大学院が閉まる23時まで毎日居残りしてた頃を思い出す。

古い言葉なのかもしれないけど、あのときはモーレツだったな。笑

帰りの電車が同じだったメンバー間で、何度「おやすみ、また明日(の18時に)」を繰り返したことか。

当時も付き合ってたオット氏よりも、確実に一緒に過ごす時間が長かった。

そのせいか、我が家を含めて複数の家庭やパートナー間で、しばしば軋轢があったとかなかったとか。←

そりゃそうだ、いかんせん家に全然いないし、毎晩の帰宅時間は遅いし、土曜もほぼ半日は選択授業で大学院にいた。日曜は翌日月曜の課題(個人もグループも)をこなすので必死だし、まじでよく各パートナーに見放されなかったと思う。逆の立場なら結構つらい。

でも総じて楽しかったのだ。

そして、いまも繋がりを大切にしていろんなことに挑戦し続けられているのは、本当に心から楽しかった分の延長戦(あえての表記)なのかもしれん。

なんだか久しぶりに長々と書いた。
少しずつリハビリして、ライランのラストはもう少しちゃんと文章として残していきたい。

それではみなさん、おやすみやこびと🌙

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