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エッセイ ピカソ様?福田様?

「気のせいかしらね、ピカソ様?福田様?」
※この記事の掲載している写真は、福田平八郎様の描いたものです。

 最近、パブロ・ピカソ様の絵を携帯で見ることがあった。正直に言うと、私はピカソ様が苦手である、いや、であったが正しい。
 中之島美術館では、彼の絵については一定時間は鑑賞してはならないと自分に言い聞かせていた。彼の絵を観るとだんだん頭が痛くなるからだ。だからできるだけ、他の画家の絵を観るようにしていた。
 だが、今見ると、携帯画面越しでも分かる。とても考えられた精緻な構図が複雑に構築されている。私は、子どもが面白い遊びを編み出したような感覚を覚えた。
 何故良いと思えるようになったかは分からないが、時間経過と年齢による価値観の変化だろう。
 十にして△、二十にして▲、三十にして×の私であるが、絵画は書きはしないが愉しいものである。何事においても、観るだけって少し狡くてとてもいいものである。
 パブロ・ピカソ様のことを考えると、福田平八郎様も思い出した。福田様の絵も中之島美術館に観に行ったが凄かった。どう言えば伝わるのかは分からないけれど、人間という生き物の眼に映ることで気持ちが良くなる線や色合いを熟知している気がした。適当に書いているようで、的確。
 どちらの方が美しいか好きになれるかを考えて、ああ悪い癖が出ているなあと気づいた。それは意味のないものと考える。
 これは、詩に似ている。絵画そのものに宿る詩的な世界が、和の技法かキュビズムで書かれたかの違いなのだろう。詩において、分かる分からないを主張することは個人的には避けたいのだが、厳密に言うともっと色々な可能性があり(私は説明できないのですが)、言ってしまえばそういうものなのだという考察に至る。もっとピカソ様を観てみよう。

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