建築の大学院を卒業してウィーンへ来た私が最初にしたプロジェクトの話(2)
建築の大学院を卒業して歴史の都ウィーンに来たら、最初の仕事は日本建築を歴史建造物のなかに作ることだった!そして新卒で歴史の街の洗礼を受けることになる。ウィーンにきた新米建築家の奮闘記、その続きです。
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前回、私がアメリカの大学院を卒業後、意気揚々とウィーンへやってきて、新米建築士として初めてしたプロジェクトが「純和風の日本食レストランだったこと」そしてそれが運悪く(?!)「歴史保存建築物の中に入るものだった」ことまでお話した。(前回の記事はコチラです。)
しかも、その建物は歴史地区のなかにあるユーゲント・シュティ—ル建築。そのなかに数寄屋風の日本食レスランを作る…
ヨーロッパで歴史保存建築に異文化のものを取り入れるときはヒジョーに厳しい審査がある。
「泣く子も黙る」ヨーロッパの歴史保存局の厳しいチェックを、どのようにクリアしたのか―
とにかく読んでみてください。
1873年のウィ-ン万博と日本
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