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虹色銀河伝説 地の章⑤
29 謎の老人
ぼくの目の前に1人の男の老人が立っていた。痩せ細っていても背が高く、甘さのない落ち着いた目をしている、やや恐ろしい印象だ。
キャスケット帽子を深く被り、両手を大きめのトレンチコートのポケットに入れ、こちらをジッと見つめている。まるで初めからぼくのことを見ていたような不思議な感じ。
その老人はポケットから右手を出すと、ぼくにゆっくりと手招きをした。
老人の手が持つ不思議な引力。気づけばぼくは吸い込まれるように老人の方へ歩いていた。
すると老人は左手のポケットからキャンディーケースのようなものを取り出した。
「松野シュラ君だね。ようやく会えたね。楽しみにしてたよ」
誰ですか? ぼくはあなたのことなんて知りません。
「君は怪獣が好きだね? これまで現れた怪獣を全部覚えているだろう?」
老人の放つ引力か。ぼくはとっくに動けなくなっていた。とても怖いと思った。でもそれ以上にこの老人が気になった。
「不思議だろうが驚くことではない。ワシは人の心の声を聴くことができる。なあにこんなの特別な力でもなんでもない。外の世界ではみんな自然と身につける能力だよ」
老人はぼくにキャンディーケースを手渡すとまた両手をポケットにしまいこんだ。
「君は怪獣が大好きだ。そしていつか近くで見たいと言っていたね。この《種》はね、君のその願いを叶える種だよ。土に埋めるもよし、川に流すもよし。あとはこの種が怪獣に孵化するのを待つだけだ。一度怪獣が孵化すれば、あとはすべてを破壊するまで暴れ回るだろう。しかし君はそれを望んでいる。松野シュラ君、君に会えて良かったよ。ワシは歳をとりすぎた。残りはすべて君に託そう」
神様に会うってこんな気持ちなんだ。ぼくは今特別な場面に遭遇しているにちがいない。空に叫んだ願いを神様が聞いてくれていたんだ。
ぼくはケースを受け取った。
アルミのような材質で、中からカラカラと音が聞こえてくる。
「一つだけ大事な約束がある。いいかい、この種を蒔いていいのは日本に限ってのことだよ。ワシはこの国になんの恨みも悪意も抱いてはおらんが、君たちが決めたことだ。分かったね?」
少し興醒め。でもまあ、なんでもいい。
怪獣が近くで見れるなら。
「もし、自身が怪獣に襲われたらね、
ケースの中に怪獣をコントロールできる笛が入っている。それを使いなさい。
ただ笛の音が届かない場所では効果はないよ。また怪獣が成長すると効果も失せる。せいぜいもってひと月くらいが限度だと思った方が良い。怪獣によっては最初から全くきかんやつもいる。だからよく気をつけなさい。種から怪獣が孵化するまで約7日はかかる。話は以上だ」
不思議なことだが、このあと老人は姿がぼやけて見えなくなった。夢だったようにも思う。だけど現に、ケースはここに。
フタを開けて見ると、中には小さなオカリナみたいな形をした物(おそらく老人の言っていた笛)と、大きめのビー玉サイズの玉がコロコロと複数入っていた。外気に触れさせないためかビニールで覆われている。これが怪獣の《種》か。
ぼくはケースを持ってヒリコの家の前に行くと、ひとつ種を土に埋めた。子どもの足でも三歩あるけば玄関に着くという距離に。
帰る途中、ヒリコグループとすれ違い、聞こえるように陰口を叩かれた。いつもはヒリコたちの冷酷な目に怯えてしまうぼくだが今回は違う。
ぼくはニヤリ笑うのを抑えられなかった。
「なに、あいつ笑ってる。気持ち悪すぎ」
よくよく気持ち悪いと言われてきた。絵を描いている時も、何をしていても。だけど、もうすぐそんな日々も終わる。
7日待てば、7日待てば……。
30 次の標的
1994年、新学期。
一人の新入生がクラスにやってきた。
「日々木ワタルです!陸前高田の広田町から疎開してきました。よろしくお願いします!」
暴動事件のことなど何も知らずに疎開してくる人たちを見ると胸が痛む。
学校は何度も何度も「事件のことは誰にも言ってはいけないよ」「口外厳禁!」と口すっぱく僕たちに言って聞かせているし、何よりヒリコたちが噂を広めないように監視していた。
もし、あの恐ろしい事件が起きたことを知っていたのなら、こんなところに疎開なんてしないだろう。怪獣よりも恐ろしい事件のことを知っていたならば……。
元気に挨拶する日々木君への反応は予想通り冷ややかだった。アテル君の時のことを思い出す。
日々木君も気まずそうに席に座った。よく見る光景だ。日々木君が座ると同時に隣の席の陽子は少し机をずらして拒絶を示した。
「俺なんかした? なんか気に食わなかった?」
日々木君は陽子に声をかけたが、陽子は無視して窓の外を見た。日々木君の声には一つも応えなかった。
「いやあ参ったなあ。いきなり嫌われちまったのかよ。前途多難だぜ」
日々木君が他の転入生と違ったのが、人に避けられることに免疫があるようなところだ。
冷たい目で見られても無視されても日々木君は自己完結している。
「変なやつ」
ダイチはさっそく近くの友達と日々木君の悪口を始めていた。
それを聞いた日々木君は、褒められているみたいにピンと背筋を伸ばして耳を傾けていた。
「ありゃりゃ〜転校早々ウワサの的になっちまったみたいだな。いやあ俺ってこういう才能あるんだよなあ。困る困る」
誰と喋っているのか?
なんだか独り言で盛り上がっている。
日々木君は不思議な人だ。
翌日。
シュラはいつもより明るい顔をして学校に来た。新学期が始まるからか、それとも日々木君たち疎開組が増えたからか、なぜか分からないけど機嫌が良いみたいだ。
何かあったの?
「まあね」
ああ分かった、日々木君でしょ?
なんだか面白い感じの人だよね。
「いや、そうじゃない。あの転入生はぼくの苦手なタイプなんだ。おとぼけ具合が鼻につくよ」
そうかな?
でもじゃあ、どうしてそんなに機嫌がいいの?
「今は言えない。でも待ってて。これからとても愉快なことが起こるから」
愉快なこと?
「そう。とても愉快なこと」
それからシュラは、僕に「ヒリコの家には近づかないように」と忠告した。言われなくたってヒリコの家なんかに用はないし、行きたいとも思わない。何を言うのか不思議な話だ。
31 変わり者
やっぱり日々木君は変わっている。ヒリコ達にはすっかり嫌われてるのに、日々木君はまったく平気みたいだ。
無視されても悪口を言われても平気な顔。
陰口にも動じない。
そのせいで嫌がらせはエスカレートしていく。
物を隠されたり壊されたり、嘘の報告をされて先生から叱られたり、悪い噂を流されたりもした。それでも日々木君はまるで平気な顔。
日々木君が何をしても傷つかないことに腹を立てたのか、ヒリコ達はアテル君の時と同じように下校中の日々木君を囲み、殴る蹴るのリンチを決行した。
その話をシュラから聞いた僕はすぐにランドセルを背負って教室を飛び出した。
校舎からまっすぐ続く斜面を下って信号を渡り、右手の方に道路沿いを進むと軽自動車がぎりぎり走れるほどの幅しかない山道に差し掛かる。その山道をしばらく登っていくと、緩やかなカーブに差し掛かる。そのカーブを曲がると、ヒリコ達の集団が視界に入った。そしてその集団の中央には日々木君がいた。
日々木君が囲まれている。もう随分とやられたみたいだ。ボロボロになった服やランドセルについた足跡が痛々しい。それでも日々木君は泣いていない。それどころか……。
「今度は俺の番だぜ!お前らなんか……笑わせてやる!」
なんて言って変顔して見せている!?
え!?ウソだろ!?
当然、誰も笑いなんかしない。強いパンチが飛んできて、日々木君の頬に当たった。
「おいヒリコ!ダイチ!もうやめろ!」
僕は叫んだ。そして小石をふたつみっつ拾い、ポケットにしまいこんだ。いざとなったら石を投げつけてやる。僕の味方はこの石ころだ。
「また来たぞアイツ」
「出た卑怯者」
「日々木と一緒にやっつけようぜ」
日々木君は立ち上がって「待て!」と言った。
「まだ俺は君たちを笑顔にしていない!さあみんな、俺に注目するんだ!」
両手を広げて日々木君はまた変顔してみせる。
「つまんねえよ」
ダイチのつま先が日々木君の腹部を抉った。
「ううっ」
日々木君がお腹を抱えて倒れると僕以外のみんなが笑った。
途端、日々木君は起き上がって、
「やったー!みんなを笑顔にしたぜ!俺の勝ち」
と両手でピースサインしてみせた。
これに完全に頭に来たのかヒリコは日々木君の前に仁王立ちした。
「じゃあ死んでみて。みんなで笑ってあげるから。面白い死に方してみせて」
ヒリコらしい最悪の暴言に、日々木君は背筋を伸ばして答えた。
「それじゃ一回しか笑顔にできないじゃないか。生きていれば何度だってみんなを笑顔にできる」
「お前が生きていると笑えねえんだよ日々木」
ダイチが後ろから日々木君を羽交締めにするとヒリコが日々木君を蹴った。
「やめろ!」
僕は日々木君を助けに走った。集団の中で引っ張られ弾かれ叩かれ蹴られ、ポケットから小石を取り出した。そしてヒリコめがけて投げつけた。
「あ危ねぇ!」
投石に気づいたダイチが、ヒリコを庇うように飛び出した。
投げた小石はダイチの額にぶち当たった。
流血して倒れるダイチ、ヒリコの悲鳴がこだまする。
「早く救急車を呼ぶんだ!」
茫然と動けなくなっている周囲の中、日々木君だけが一人慌ててダイチに駆け寄った。
「鬼島さん早く救急車を呼んできて!あとハンカチ持ってる人、ティッシュ持ってる人、水筒持ってる人、協力してくれ!近くに住んでる人は?」
日々木君の指示に従ってみんな動いた。僕は動かないヒリコの代わりに学校まで走った。そして救急車を呼んでもらった。
32 傷
「君が傷つけた陸奥ダイチ君だが、
六針縫う大怪我だったそうだ」
僕は両親と共にまた校長室に呼び出された。
僕たちは直接病院まで行き、ダイチとダイチの両親に謝罪しに行くことになった。
お父さんが運転する車に乗ってダイチが救急車で運ばれた県立病院に駆けつけると、額に包帯を巻いたダイチが待合室のベンチに座っているのが見えた。その近くに立つダイチの両親は、真っ青な顔で狼狽気味の様子。僕たちを見るとすぐに駆け寄り僕を責め立てた。
「謝って済むことじゃないですよ!これは!」
「もしダイチの脳に障害が残ってたらどうするんですか!」
頭を下げてばかりの両親の横で、僕は静かにダイチを見つめた。ダイチは騒いでなんていない。
僕も黙った。何も言わず、アテル君の家が燃えるのを思い出していた。
「真一お前もちゃんと謝りなさい!」
お父さんの声を聞いて僕はほんの少しだけ反応した。そして、ダイチの親を見た。
「ダイチはよく疎開組をイジメるんです。みんなで囲んで叩いたり蹴ったり。僕もやられました。今度もまた新しい転入生を……」
「でも石を投げたりしてないわ!うちの子が怪我したのよ? それについてどう感じてるの?」
「……アテル君の家族は死にました。あの日僕は心の底から後悔したんです。僕が守ってあげられたかもしれないのに。僕がダイチやヒリコを恐れたばかりに……僕が怪獣を恐れたばかりに見殺しにしてしまったって。だから僕はもう……」
「……ああそうか分かった、お前に謝る気がないのならこちらにも考えがあるからな。お前にも石投げてやるよ、みんなにもお前に投げさせてやるよ。それでいいんだろ?」
「それでいいと思います、投げてください。僕は石で打たれるくらいのことをしたんだ。アテル君の家族に……」
小学四年生の会話じゃない。こんなバカな話を鵜呑みにしないでください。うちの子も頭おかしいんです。おかしくなってしまったんです。それもこれも全部《怪獣災害》のせいですよ。ご存知でしょ?
そんな台詞が聞こえた。お父さんは必死だ。
精神科に行かせますから、なんて言葉を何度も使った。頭を下げ、すべてを僕が子どもであることと怪獣のせいにして、そしてダイチとダイチの両親に謝罪した。
だけど意味はない。この人達は怪獣災害で精神がおかしくなったからアテル君の家を襲撃したんけじゃない。そんなのこの人達が一番知っているはずだ。
「このことは絶対忘れないぞ!お前らの家に毎日石を投げ込んでやるからな!」
ダイチの父親が放った最後の言葉だった。
怖かったが、もう後には引けない。我が家もアテル君の家と同じようにみんなから攻撃される。石を投げられ、火をつけられるかもしれない。
それでも僕は戦わずにはいられなかった。
病院を去る頃、廊下でふと検査入院をしていた鉄河ユウキ君にすれ違った。どこかの施設に移されるのか荷物がまとめてあり、ユウキ君も外行きの服装をしていた。
「明日から小学校で」なんて声も聞こえてきた。
僕はユウキ君の顔を見て、ユウキ君も僕の顔を見た。だけどユウキ君は僕のことなんてすっかり忘れてしまったみたいだ。特に何事もなく、またキョロキョロと周りの大人たちに目を移してしまった。ユウキ君がどこに行くのか聞く時間もなく僕は父親に手を引かれ、病院を去った。
両親は帰りの車の中で夜逃げの話をした。
これまでも何度も逃げてきたが、今回ばかりはあの家には居られないと判断したみたいだった。僕からしたら今まで居座っていられたのが不思議なくらいだ。なぜもっと早くあの家を出なかったのだろう。
33 そして7日後
早朝5時。その時は突然に訪れた。
ガラスの割れる音。一階の出窓が割られたみたいだ。続いてガツンと壁に石がぶつかる音も聞こえた。予告通りダイチの父親が投げてきたのか。家の周囲が急激に騒がしくなった。どれくらい集まっているのか、多くの悪意が僕たちに向けられているのを感じる。隣家の犬が吠え方が段々と激しくなり、またガラスが割れる音。今度は車のフロントガラスか。
「窓の近くは危険だ!顔を出すな!」
お父さんの指示を聞いて僕たちは窓から離れた。覚悟はしていた。でも、お父さんもお母さんも朝までに荷造りが終わらなかった。それどころか、早朝の襲撃が想定外だったも言わんばかりにお父さんは焦っていた。
フロントガラスに続き、車が傷つけられている音も聞こえる。車が壊されたらやばい。
「どうするの!?どう逃げるの!?」
と、お母さん。
「警察を呼ぶに決まってる!」
お父さんはそう言って電話を取った。
「ダメだ電話線が切られてる!? あいつら本気で私たちを殺す気か!?」
逃げ場はない。
一度人を殺している人達だ。二度目も躊躇はないだろう。
僕は最後を悟って目を閉じた。
その時、急に地面が突き上げられるような衝撃が走った。それは一回で終わりじゃなかった。何度も何度も衝撃が繰り返され、食卓に乗っていた陶器の皿やカップがガタガタと宙に浮いた。
石を投げられたのとは違う地面の振動。食器棚が今にも崩れ落ちてきそうなほど激しく揺れる。
さきほどまでガヤガヤと聞こえていた外のざわめきが突然悲鳴に変わった。
「放火されたか!? 水場に逃げるんだ!」
お父さんは工具用のハンマーを持ち出して暴徒の襲撃に備えると、僕たちをお風呂場に集めた。
僕たちはみんな目をぎょろりと大きく見開き、血色が消えた蒼白の肌を震わせていた。こんな顔はじめて見る。
さらに大きな衝撃が床を通して伝わってくる。
ついに食器棚が倒れ、ガラスや陶器が一斉に割れる音がした。誰も悲鳴を上げなかった。
誰も一言も発しなかった。
その後しばらく静まり返った。
「怪獣だ!怪獣が出た!」
誰かの叫ぶ声と悲鳴が嵐のようにゴオゴオと響き渡った。違う、ゴオゴオと響き渡る音の中には怪獣の声が混じっているんだ。
僕はたまらず浴槽を出て行こうとしたがお父さんが引き止める。
「行くな、死ぬぞ」
「怪獣が来たなら、ここにいても死ぬよ」
僕たちは意を決して浴槽を出ると、急いで玄関を出た。車は動くかも怪しいほど傷つけられている上に《卑怯者》という貼り紙で埋め尽くされている。お父さんは貼り紙を外しながら車に乗り込み、キーを回す。しかしエンジンは反応しない。
「クソっ、ダメか」
僕は車庫を飛び出し、唸り声のする方を見上げると、そこには途方もないほど巨大な怪獣の姿が見えた。
ハサミを持つザリガニのような怪獣。赤黒い甲殻に鋭い触覚を持ち、複数の節足がそれぞれに動き回っている。さらに口から毒々しい泡を垂れ流している。触ったら危険だと直感した。
「お父さん、お母さん、怪獣がいるよ!」
「分かってる!クソ!なんで動かないんだ!」
お父さんはハンドルを何度も叩き、動けないことに苛立ちを爆発させた。
「今更車に乗っても逃げきれないわよ」
お母さんはもうすっかり腰を落とし、諦めた顔をしている。
分かってる、僕たちはもう終わりだ。
地の章⑥へ続く
〜前回までのあらすじ〜