十四世紀におけるペスト大流行の下地と様々なペスト病因論

 十四世紀はヨーロッパだけでなく世界中で気象の変化が起きていた。中国では旱魃、大洪水で食人肉さえ記録されていて、蝗(トビバッタ)の大発生もあった。ヨーロッパでは、エトナ火山の噴火、トビバッタの来襲、ギリシャを震源とした大地震があった。ペスト大流行の背景には、こうした自然環境の変化によって人々の抵抗力が低下したことや、アジアではヨーロッパよりも早く飢饉が発生していたため大量のクマネズミの流入を招いたことなどの状況が「黒死病」の惨禍を助けていたことは間違い。また商業の発展に伴った都市化もパンデミックには好都合だった。

 私たちは伝染病やその流行という概念を病原体に感染するという現象と結びつけることに慣れすぎていて、ときに大きな過誤を犯す。感染による発病という着想が過度の恐怖を生み出しているのではないか。しかし病原体という概念や感染による発病という考え方が確立されたのは、西欧医学の伝統の中でも比較的新しく、たかだかここ二百年程度の歴史しかもたない。

 したがって流行病はすなわち伝染病であるということさえ黒死病期には必ずしも理解されていたわけではない。紀元前五から四世紀のヒポクラテスの病理学説に従えば、病気の原因は四種類の体液の平衡の失調によって惹き起こされる。このような考え方は基本的な理解は変化しないままイスラムに伝わり、十二世紀ルネサンスを経てヨーロッパ世界にも拡大した。

 二世紀のガレノスのペスト病原論の一つは汚染空気であり、これを「ばらまかれた種子」と呼ぶ。もう一つは悪い食物を体内に摂取することである。それ自体腐敗しやすい「フモール」を含んでおり、これが大量蓄積されることでペストの症状を惹き起こす。このようなペスト病原論が十四世紀の黒死病期だけでなくそれ以降の十六世紀でさえ基本的にほとんど同じ解釈が通用した。

 九世紀から十世紀にかけてのアル・ラージーの病因論は、製造過程がぶどう酒と似ている血液において、ある期間発酵中の新ぶどう酒様の血液の中で働く一種の「泡を生む熱」とペストが結びつく。それゆえ血液生成の初期、中期にあっては病気を逃れることができない。

 イスラム世界でのハーティマーの病因論は大気の腐敗と関係がある。大気の変性が徹底して起こった腐敗の場合には空気の性質が根本的に変化する。そうした時の空気はある種の有毒な気体であって、この中では人間は生きられないし、ランプの灯も消える。このような変性・変質が大気全体に大々的に起こったとき流行病という現象が生ずる。

 これには天文学的な原因、季節の変化が不順なために起こる様々な気象異変、腐敗した動物の死体から放出される有毒な気体が原因であるとみなされ、この種の病因論はイスラム世界と西方ラテン世界とを問わずほとんど全ての論者に共通するものであり、ガレノスの影響の強さを推測させるが、占星術的な原因に関しては重要視する度合いはまちまちである。

 中世社会は非合理・非科学的だから錬金術や占星術が跋扈していたのではない。キリスト教社会は基本的に占星術や錬金術を非合理・非科学的として厳しく拒斥し続けていた。そういうものがヨーロッパ文化の中で中心的な位置の一つを獲得するのはむしろルネサンスから近代にかけてであり、それゆえ黒死病の病因論として占星術的な解釈が登場するのは必ずしも当たり前のことではない。

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