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都市化と高度経済成長が消し去った教養主義

 青年は農村に嫌悪感を抱くようになり、また賃金が大幅に上昇したことによって、都市部へ流出するようになった。


 青年団・青年学級の内部には中卒者と高卒者の対立があった。家計が原因で高校に進めない状況が改善されたことで、高校不進学者の中で学業不振者の割合が増え、討論や読書が困難になった。

 また幹部と一般団員の分裂は60年安保闘争の「政治の季節」において顕著になり、「役員の意識は高いが、会員はまるで無関心なよう」と言われた。

 こうして農村において展開した青年団・青年学級は危機を迎えた。
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 都市部においては定時制高校への進学という選択肢があった。1960年に定時制高校生を対象に実施された調査では、通学目的に「高校卒の資格を得ること」としたのが18.7%、「できるだけ教養を高める」と回答したのは53.6%であった。

 それは知的関心の低い層と同一視されることへの嫌悪とも結びついていたし、中学によって待遇の異なる「進学組」と「就職組」の格差もあった。しかも、中小企業の場合、定時制高校を卒業しても勤め先の待遇が改善されるわけではなかった。定時制に通う意図として「勉学」「教養」を自己目的化するしかなかった。

 大企業に就職できた場合でも、特に企業が設置する養成所に通える養成工でも学習内容や雰囲気に幻滅して定時制高校に通う者が増えた。

 定時制は会社にはなく、中学の時に経験した対等な人間関係と自由な討議が可能な空間であった。しかし、厳しい労働と勉学との両立は容易ではなく、学校の学習環境も満足いくものではなかった。

 定時制は教養に憧れを抱く勤労青年の受け皿であったと同時にそれを冷却させ、結果的に教養から彼らを遠ざける機能を帯びていた。

<続>

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