人と違った尺度で人生を評価すれば「幸せ」に
サマセット・モーム作「人間の絆」の主人公フィリップは、以前、人生を達観した詩人に人生の意味を問うた時、答えはこれに秘められているとペルシャ絨毯をプレゼントされたことを思い出し、思考を先に進めます。
「絨毯の織匠が精巧な模様を織り上げてゆく際に意図するのは、単に自らの審美眼を満足させるだけであるのと同じように、人もまた自らの人生を生きればよいのだ。(中略)つまり、一生の多種多様な出来事や行為や感情の起伏や、さまざまな想念などを材料として、自身の模様を織り出したらよいのだ」
主人公は、人は人、自分は自分という考えを持つようになります。
「人生模様には、人が生まれ、成人し、結婚し、子供を作り、パンのために苦労し、死ぬという、もっとも明快で完璧な美しい意匠がある。だが、他にも、複雑でみごとな意匠もありうる。つまり、幸福とは無縁で、世俗的成功など意図すらされていないような意匠もありえるわけで、そういうものに人の心を捉える優美さが見出されるかもしれない」
東方の王がまとめさせた「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ」という人生という絨毯を簡潔に表した一行を「明快で完璧な美しい意匠」と評価します。しかし、誰もが成功し、誰もが幸福のうちに死ぬということはあり得ない。それでも「美しい意匠」というからには、幸福を享受した人と異なり、苦しみ・悲しみ・失敗の続いた人生の絨毯にも優美さが見出されるからです。
「(意匠が未完成のうちに冷淡な運命によって打ち切られることがあっても、それで)構わぬと知れば、心は癒される。(中略)そのような人生にも正当性があるのだと理解するには、物の見方を変え、従来の基準を棄てなくてはならない」
従来の人生に対する物の見方、先入観を捨てて、別の尺度で人生を評価しようと考えます。すると、
「(主人公の)フィリップは、幸福になりたいという願望を棄て去ることで、最後まで持ち続けた幻想からようやく脱却できたと感じた。幸福という尺度で計ると、これまでの人生は悲惨であったが、他の尺度で計って構わぬと気付くと、勇気が湧き起こるように感じた」
これまで固執してきた「幸福追求型人生」をやめてみる。人生は幸福を追求する場所ではないと定めてみる。すると、人生が生き生きと見えてきた。「幸福追求」一辺倒のこれまでの生き方では幸福になれず、不満足な点に納得がいかず、投げやりになっていた。しかし、別の基準で人生で再評価すれば、生きるための前向きな気持ちが強く生まれてくるいうのです。
「今度はいかなる過酷な試練に遭遇しようとも、すべては複雑な模様の完成に寄与するだけなのだ。人生の終わりに近づいた時に、模様の完成に満足するのみだ。一生は一個の芸術作品となり、その存在を知るのは自分のみで、しかも死と共に消滅するからといって、作品の美しさが減ずるわけではない。
そう確信できてフィリップは幸せであった」
「幸福追求型人生」をやめようと決意したら、その瞬間から「幸せ」になれた。幸福でなくても、自分の一生は、他人の人生の意匠とは異なる一個の芸術作品として複雑であり優美であると認められるようになった。それで初めて自分は「幸せ」だと感じるようになった。
自分には欠点があるから、これまでの人生は失敗の連続であったから、自分は嘆いていた、なんて不幸なんだろうと。しかし、それを自分のかけがえのない芸術作品として受け入れよう。欠点・失敗・苦しみも人生という絨毯の模様なのだ。他の人たちと違った優美な意匠なのだと。
ここにきて、主人公が自分の長所も欠点も含めて認める「自己受容」に至ったことがわかります。
<続>