人生雑誌ブームと歴史ブーム
1950年前後に高校に進めなかった勤労青年たちを主たる読者とした「人生手帖」と「葦」という「人生記録」が創刊された。
それは世俗的な実利を目的とするのではなく、知や教養に触れることで人格陶冶や真理の探究を目指すものであり、社会や政治への批判的な関心も見られた。
「進学組」への鬱屈も重なり、これらの特徴に強い関心を示す読者たちは、この雑誌が自らの「学ぶ場」の代替になっており、お互いの投稿を読むことで見えない読者どうしが「誌上で励ましあう」状況を作り出し、全国に読者サークルが生まれるほどになった。
読者は毎月の雑誌購読を通じて「想像の読者共同体」とも言うべき存在を継続して感じていた。
この雑誌には「働く青年男女が大学程度の知識と教養をわかりやすく学習できること」が示唆され、読者投稿は掲載倍率が30倍から100倍と高く、これに掲載されることは優越感をもたらした。
さらに「知」への強い憧れから、「知」が知識人たちに占有されることを拒むようになり、その知識人たちへの嫌悪感から生まれる「反知性主義的知性主義」も広がった。
しかし、左派的な色彩を感じられる内容に各方面からの批判も増え、編集部はその傾向を避けるようになったため、政治的関心の強い読者層には物足りなくなった。
読者の視点も冷めたものになり、言論そのものへの「幼稚さ」や「暗さ」が感じられるようにもなっていた。
時代的には、高度成長のおかげで家計の困窮が原因で義務教育以上の学校に進めない層が減っていた。
人生雑誌を下支えした情念が薄れ、実利を離れた読書と人格陶冶を突き詰め、「査読」を通して進学組を凌駕しようという発想は生じにくくなった。
さらに、労働環境の改善と消費文明の浸透により、知や教養を吸収すべく刻苦勉励する意欲は失われていくことになった。
高等教育への進学率の上昇は、平板なマスプロ教育、施設拡充のために値上がりする学費、学生数の増加によって思うような就職ができないことなどにより大学への期待を奪っていった。
「大学なみ」の教養や生き方を掲げていた人生雑誌はこうした時代背景に衰退していった。
その後、昭和50年代において大衆歴史雑誌が盛り上がり、不振だった大河ドラマの視聴率が上昇する大衆歴史ブームが到来した。
歴史雑誌や歴史ドラマを通じて「歴史」を学び、ときに「生き方」を考えようとする動きは、広範に見られた。
その歴史ブームの担い手は中高年層で、かつて教養主義的なものをくぐった層であったことは十分に想像できる。
しかし自己充足的な「歴史」への関心に閉じる傾向をも生み出し、「読書を通じた人格陶冶」とは異質な「知の断片化」に行き着くものであった。
この大衆歴史ブームは、2000年代に入り、彼らが退職などで社会の主要な担い手から外れていくなかでひっそりと消失していった。