タテ社会論から読み解く「天下り」


 日本の官僚が優秀なのは、官庁を早く離れるシステムが出来上がっているために、その分だけ、一番脂が乗った時に重要な仕事をできる点にある。キャリア官僚は早ければ40代の頃から退職勧奨があって組織の新陳代謝がうまくいっていた。そのシステムを裏から支えていたのが天下りであり、タテのシステムを活性化させていた。

 天下りは善悪ではなく、なぜ天下りが起きてしまうのかというシステムを問題にすべきだ。

 官僚になれば定年後も70歳ぐらいまで人生が保証される。そういう安心感があったから、優秀な人材が集まって官僚の質が高まった側面はある。しかし退職して、どこかに職を、人を探さなければならないというと、かつてタテにつながっていた親しい人ぐらいしか当てがない。

 しかしグローバル化が進むと、より普遍的なルールが求められるようになる。タテの封鎖的な関係に依存した天下りなど、伝統的な日本型習慣の変化を求める声が強くなるだろう。

 また、天下りがタテ社会の出口、つまり組織からもう一つの組織に出ていくことに関する問題であるとすれば、非正規・正規雇用は、組織の入り口に関する問題と位置づけられる。

 日本人が「場」を重んじるあまり、正規雇用と非正規雇用の区別ができてしまうからこそ起きているという側面がある。正規雇用の人たちには、自分たちのステータスを維持したい「ステータス・コンシャス」という意識が極めて強くある。

 会社という「場」に早い段階で安定した形で属しているというのは、正規の人間からすれば維持したい「ステータス」だ。家の格や企業の格でも、経済的な差より古さによって格が変わる。オリンピック選手でも「最初に」金メダルを取った選手のステータスが一番高くなる。

 正規雇用と非正規雇用の問題の背景には、日本人が抱きがちな、ステータスを維持したいという意識がある。アメリカには一回獲得したステータスに執着する意識はない。階級社会のイギリスでは、すでにステイタスができあがってしまっているから損をしても構わないようだ。

 しかし、入社試験で合格して正社員の資格を持つ者にとっては、いったんここをやめてしまえば、次に良い職を得ることは難しいという、日本の労働市場のあり方を知る者にとっての「常識」がある。

 しかも社員にとっては、現在属している小集団が宇宙全体である。この小集団の現場の第一線に立たされていると、外からのクレーム、要求を全て受けなければならず、オーバーワークな事態と化す。類似の他者との競争の激しさや負けられない・やめられない心理が働き、仕事量は増え続ける。そうして追い込まれると、自ら死を選ぶほかなくなるのではないか。

 社会慣習と法制度には間がある。長時間労働をさせないようにするための規制を目的にした法律自体はこれまでもたくさん作られているが一つも円滑に動いていない。

 日本においては、構造的に個人は小集団を通してしか上位と接触しないので、小集団の枠は防波堤になる。個人が小集団の成員として許容されている限りは、上位集団成員としてのルールを犯したとしても、特定の個人が制裁を受けることはない。小集団の成員にとって、一番恐れるのは、同じ小集団の他の成員から非難を受けること。だから小集団内の慣習を上位集団のルールよりも重んじるというのがその理由だ。

 上位集団の中で最も上位にあるのが、国家による法律である。日本人が法律を守ろうとする意識が弱いのは、法律は個人の感覚からするとあまりに遠い。だから普段は法律を意識する機会が少ない。スピード違反の際に「……なんで俺だけが……」というのはまさにその意識の表れだ。

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