好き嫌い
とんかつ定食についているキャベツが嫌いだ。
控えめな色をしている割に、主役の後ろに無駄に幅をとりながらそびえたち、その存在を主張してくる。
“とんかつ定食”の文字面に“キャベツ”なんて一言も入っていないのに、なんなら“とんかつ”より皿上の面積を占めている。
彩りのため、栄養面でのつけあわせ、その他諸々の理由で定食にキャベツが必要な事はわかっている。
わかっているけど、好きかどうかはまた別の話である。
「残したら?」
不意に上から降ってきた声に顔をあげる。
薄暗い店内の間接照明に照らされた眼鏡越しの優しい奥二重の瞳が笑っていて、わたしは知らずにつめていた息を吐き出す。
「もう大人だしさ。食べますよ。」
見つめていた皿の上のキャベツを箸で一掴みし、口に運ぶ。
シャキシャキとした歯応えとは裏腹に口のなかにいつまでももっさりと残る絶妙な甘さを無理やり熱めのお茶で流し込む。
食べられなくはない。
ただ食べたいと思ったことは一度もないし、きっとこれから先も好きにはなれないだろう。
正面に座り直した彼はその様子を見届けた後、たまらずといった感じで笑い声をもらした。
「美味しいのになぁ…。そんな眉間に皺寄せてまで食べなくても、俺が食べるのに。」
「これまではね。」
ぼそっと呟いた一言がやけに響いた。
刺々しく、嫌味に聞こえてしまっただろうかと逡巡したが紛れもない事実であるし、今更好感度の上がり下がりを気にするのも無意味なので気にしないことにした。
少しの沈黙の後、店内のBGMが次の曲に変わったタイミングで、言葉を紡ぐ。
「順調?」
流れ作業のように皿についたドレッシングをキャベツに擦り付けては口に運び、なんとか飲みこむ。
嫌な甘さを緩和してくれる酸味に感謝しつつ顔を上げれば、彼は何とも感情の読めない顔でこちらを見ている。
「まぁ…特に変わらず。」
「そう。」
箸をおき、湯呑に手を伸ばす。
とにかく存在感を消したくて、猫舌を無視して飲み続けたせいか、舌がひりひりし始めている。
それを無視してぬるくなったお茶を飲み干す。
「そっちは?」
「え?」
「彼氏とどうなの?」
「…まぁ、変わらず?」
「…珍しいね。」
「え?」
「もう1年でしょ?最長記録じゃない?」
なんて身も蓋もないことを言うんだ、と思うがその言葉に他意がないことは長年の付き合いで分かっているし、悔しいことに、確かにその言葉通りなので黙って咀嚼に勤しむことにした。
「どんな人?」
「年上。」
「へー。サラリーマン?」
「んー…自営業…?」
「自営業?」
「うん。…ていうか珍しいね。」
「何が?」
「今まで興味なかったじゃん。私の彼氏なんて。」
一足先に食事を済ませ、食後のお茶を飲みながら矢継ぎ早に質問してくる彼にそう問えば若干呆れ気味な答えが返ってきた。
「だって興味持つ前に別れちゃうだろ?前は5ヶ月、その前は3週間。」
「……」
「だから、1年も一緒にいるなんてどんな人なのか気になって。」
「たまたまだよ。たまたま、なんとなく過ごしてたら1年たってた。…ただそれだけ。」
「ふーん。」
納得はいっていない様だったが、これ以上聞いても私から詳細は聞き出せないと思ったのか話はそこで終わり、昼間一緒に見た映画についての話題に切り替わった。
前作からの伏線の回収が見事だった…まさかあのキャラが生きていたなんて…犯人に気づいたのはどのタイミングだったか…
少しだけ早口になるのはお互い様。
こうやって一緒に映画を見るようになってどれくらい経つだろう。
年に数回、映画を見て、食事をして、本屋を巡って解散する。
それが私達のルーティーン。
この後はどこの本屋にいこうか…たまには古書店なんかに行くのもいいかもしれない。
そんなことを頭の片隅で思っていると、鈍いバイブ音とともにテーブルが揺れた。
常時サイレントモードの私の携帯ではない。
「あ、ごめん。ちょっと電話出てくる。」
通話ボタンを押しながら席を立つ彼に了承の意を込めて頷けば、ごめん、と申し訳無さそうな顔をしながら店外へと足早に去っていった。
「…はぁーあぁ。」
席を立つ瞬間に見えた着信の主の名前。
店の窓越しに見える通話中の彼の表情。
1.2の視力が腹立たしい。
視力だけじゃない。
笑ったときに出る右頬のえくぼ。
艶のあるサラサラロングヘアー。
高くて可愛らしい声と、すっぽりと人の背に隠れてしまうほど華奢で小柄な体。
唯一といっていいほどの取り柄である記憶力も、今だけは捨ててしまいたい。
視線を落とすと、目の前の皿にあったキャベツの山は3分の1ほどの大きさになっている。
だが、頼みの綱のドレッシングがもうない。
ついでにいうと、湯呑も空だ。
寄せ集めてしまえば箸一掴み分あるかないかのそれをぼんやり見ていると、隣に人の気配を感じた。
「お茶のおかわり、お注ぎします。」
「あ、ありがとうございます。」
ニコリと微笑み、手際よく湯呑にお茶を注いでいく店員の手元をぼんやりとながめる。
改めて差し出された湯呑をそっと両手で包み込むと、じんわりと伝わる熱に思わず鼻水が出そうになった。
「お済みでしたらお下げします。」
そう言う店員の視線の先には、箸一掴み分のキャベツ。
ゆらゆらと湯気が立ち昇る手元の湯呑を一瞥し、小さく鼻をすすってから皿を少し前に押し出した。
「お願いします。」
目の前から消えていくキャベツから目を反らす。
わたしはキャベツが嫌いだ。
彼が好きなキャベツが、キライだ。
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