見出し画像

「喜びも苦しみも従業員の立場で」:都製餡株式会社 山梨社長インタビュー①

都製餡株式会社の山梨社長は、大学卒業後すぐに、自社商品販売店舗での販売からキャリアをスタートさせています。
今回のインタビューでは、社長のこれまでの経歴や、経営における喜びと苦労や商品にまつわるエピソードなどを伺いましたので、ぜひ最後までご覧ください!

山梨社長の経歴と社長就任のきっかけ

ーーこれまでのご経歴について教えてください。

大学を卒業後に、父の会社である都製餡株式会社の自社商品販売店舗『都松庵』で販売をしていました。
そのあと、出入荷・営業職を経て、この会社を継ぎました。
現在は社長業と並行して総務や経理の他、今でも、お得意先さまの窓口業務もしています。

ーー卒業後、販売職に就かれたきっかけは?

大学を卒業するタイミングで、 『都松庵』のスタッフがお目出度を機に退職されました。
その流れから、店頭での販売からスタートしました。
販売業務では購入されるお客さまの顔をダイレクトにみることができるので、商品をつくってお商売をしていく上で貴重な経験でしたね。
そのことが、今に活かされていると思います。

ーーなぜ会社を継ごうと思われたのですか。

物心ついたときから 都製餡の本社の上の階で生活をしていました。
当時は本社に工場があり、学生時代にアルバイトとして工場での製造を経験しましたので、肉体労働の厳しさが身に染みていたのですが…
これまで育ててもらった両親に恩返ししようと、会社を継ごうと決意しました。
両親には「会社を継ぎなさい」とは一言もいわれていませんので、大学時代は小説家になりたいなとぼんやり考えていたことがありました。

経営者としての喜びと苦しみ

ーー経営者として嬉しかったことは何ですか?

業績が上がったときに、ボーナスが支給できたり、昇給することができたときですね。
1人ではなく、従業員たち皆で成果を出してくれたと思うと、やっぱり1番嬉しいです。
他には、考えてもいなかった業者さまから弊社の商品を扱っていただき、SNSで紹介してもらえたりすると、とても嬉しいなと思います。

ーー経営者として苦しかったことはありますか?

苦しいことは、毎日なにかしらありますよ(笑)。
1番苦しいことは製造現場の人員不足です。
製造現場の厳しさは学生時代に経験しています。
人員不足は、従業員1人1人に負担をかけてしまうことになるので、はやく従業員を迎えて安定した人員体制にしたいと思います。
会社は75期になりますが、お客さまの信用を得られているのは、これまで従業員が頑張ってきてくれたからです。
私自身は代表としてまだ駆け出しですし、人員不足の解決のために、積極的に採用につながる活動を試みています。

商品にまつわるエピソード

ーー印象に残っていることを教えてください。

最近では、各種SNSでお客さまからたくさんの投稿やコメントをしてくださりありがたいです。
SNSが普及してる中、お年寄りのお客さまが「おぜんざいが美味しかったです」「水羊羹が美味しかったです」と手紙をくださるんです。
年に数回ほど手紙をいただくことがあります。
手紙は特別感があり、嬉しくてとても印象に残りますね。

ーー商品づくりの楽しさを覚えたのは母から。

幼少の頃から生活の一部として、都製餡のあんこを口にしていました。
母親はお菓子の勉強でフランスへ短期留学をしており、都製餡のあんこでオリジナルのお菓子を自宅で作ってました。
あんこのお菓子をつくる楽しさを覚えたのは母からで、私も小学生のころからお菓子づくりをしていました。
母のお菓子はどれもユニークで美味しくて、その中から『あんこのケーキ』が都松庵でテスト販売され、『AN DE CHEESE CAKE』と進化をしながら商品化されています。
私自身も都松庵で販売をしていた頃に、『あんdeシュー』を考案し商品化しました。

最後に

山梨社長は、社長に就任するまでに工場・店頭・営業など幅広い業務を経験されています。
その経験から、従業員の立場で喜びや苦しみを感じながら、会社経営をされる印象を受けました。
次回のインタビューでは、山梨社長の会社のビジョンや社員像などについて語っていただきます!

他の記事はこちらからご覧ください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?